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利他の構造(1)

利他の構造(1)

5バリューアセット株式会社は、日本のIFA(金融商品仲介事業者)を変えたいとの理想の下に、代表斉藤彰一が立ち上げた企業です。

当社ではお客様と社会に役立つ存在を目指し、経営哲学・理念の共有や、精神性の修養に努めるべく、外部講師をお招きしての社内勉強会を定期的に催しております。

以下では、当社が開催した社内勉強会についてご紹介させて頂きます。

2024年5月10日、第5回のオフサイトセミナーを開催しました。第5回は政治学者の中島岳志先生(東京工業大学 リベラルアーツ研究教育院 教授)にお越しいただき、「利他の構造」という演題で、中島先生の著作『思いがけず利他』(2021、ミシマ社)の内容をベースに、様々な「利他」や、その構造についてのご講演を頂きました。

主な内容は『思いがけず利他』で言及されたケーススタディなどをより深く・わかりやすく解説されたものですので、本サイトに掲載の記事と合わせて、同書の参考資料としてご活用頂ければ幸いです。また、記事の最後にアーカイブ動画へのリンクがありますので、よろしければそちらもご覧下さい。

コロナ禍と利他ブーム

利他という言葉が様々な場所で聞かれるだけでなく雑誌でも特集されるなど、近年では利他がある種のブームになっていると言われています。利他に関する著作を持つ中島先生のもとにも取材の申し込みがあったそうで、先生に実感としては10年ほど前とは状況が大きく変わっているそうです。 

利他がブームとなった背景には新型コロナウイルスの影響があります。〈他者に感染させないこと〉を目的としたマスクの着用や、外出制限に伴う巣籠りやロックダウンの影響に起因するエッセンシャル・ワーカーへの関心の高まりや医療従事者への感謝などがコロナ禍を通じて目立った変化として現れました。

コロナ禍におけるマスクの着用は、自分を風邪やインフルエンザから守るために装着するというこれまでの文脈とは異なり、感染初期段階では無自覚・無症状にあり、マスクをしなければ無意識に感染を拡大させてしまうという新型コロナウイルスの特性が大きく影響し、自身が感染している可能性を考慮し、他人のためにマスクを着用するようになりました。その変化が利他への関心の高まりに繋がっていったと考えられます。

ほかにも、ライブハウスや映画館といったコロナの影響で経営難に陥った文化施設を支えるためのクラウドファンディングが若者を中心に広がることで、寄付の動機付けという問題が浮かびあがるようになりました。

利他を考えるプロジェクト

2020年2月に中島先生が所属されている東京工業大学(2024年10月から医科歯科大との統合で東京科学大学に名称を変更予定)に未来の人類研究センターが設立され、様々な分野における利他を学問として考える「利他プロジェクト」が始まりました。

コロナ禍が日本国内で本格化したのはプロジェクトの始動後で、クルーズ船内での集団感染が話題になったダイアモンド・プリンセス号の横浜への寄港が2月3日、国内での初の死者が2月13日に発生、4月7日に7都道府県への緊急事態宣言の発令と矢継ぎ早に事態が急転するなど、利他への関心が高まりをみせていきます。

プロジェクト自体は1年ほどの準備期間があり、活動を開始した時期に思いがけずコロナ禍が重なり、コロナの影響で利他という研究テーマが選ばれたわけではなく、現在の時代状況のなかで、利他はどういう意味を持っているのかを考える必要があるため、プロジェクトが立ち上がったと中島先生は説明されます。

利他を考える際に難しい点は、その複雑な概念とその構造にあります。辞書的な意味によれば、利他は利己の反対語となります。また、西洋では「利己主義(egoism)」に対するものとして「利他主義(altruism)」があります。しかし、西洋的な「利他(主義)」と中島先生が取り上げる利他は異なるもので、利他と利己の関係も辞書的な定義のように単純な二項対立というわけではありません。

わかりやすい利他の例としてボランティアがあります。私たちはボランティアに参与する人たちの献身的な行為に感銘を受けがちですが、参与者がボランティアに参加する動機は人それぞれです。社会的地位や評価あるいは内申などを獲得することを期待するような動機付けがみえてしまうと、感銘を受けていた相手が利己的な人物に見えてくる場合などがあります。それを踏まえて考えると、利他と利己はメビウスの輪のようにどこかの点で反転する(逆もしかり)もので、純粋な利他というものは存在しないのではないかという、問いが生じてしまいます。

反転する利他と他者のコントロール

利他がある点で利己へと反転する例や、利他な行為が受け手によってはありがた迷惑になるケースとして、カフカ研究者として知られる頭木弘樹さんの『食べることと出すこと』(医学書院、2020)に収められた話が紹介されます。

頭木さんは潰瘍性大腸炎という難病を患っているため、食べられないものが多いのですが、レストランで仕事の打ち合わせをした際、先方からお店の名物料理を振る舞われます。先方は頭木さんが難病を抱えているのも熟知していますが、出された料理に食べられないものがあったため遠慮する旨を伝えると、先方は一度引き下がるものの再度料理を勧めてくるほか、回りも人たちも「ひと口だけでも」と、食べることを勧めはじめ、それが恐ろしい体験だったと記し、中島先生はそのエピソードに利他を考えるポイントを見出します。

頭木さんを誘った相手は、美味しい料理をご馳走したい、喜んでもらいたいという利他的な一心で料理を勧めますが、相手に拒絶をされると利己的な思いが生じ、当初の目的を果たせるように相手をコントロールしたいという欲望を抱く場合があります。その時には利己が利他へと転化しています。頭木さんエピソードで重要なのは、利他は行う側ではなく、受け手側の解釈によってプラスにもマイナス(ありがた迷惑)にも変化してしまうという点です。

以下は、ここまでのまとめを兼ねた利他に関する命題です。

1、利他は受け手によって規定される

利他は、「誰かに何かをしてあげること」と思われやすいですが、「何かをしてあげる」という一方的な行動は、頭木さんの例でみたように「ありがた迷惑」になる場合があります。

2、利他は受け取られたときに、利他として成立するという構造がある

「与える」―「受け取る」という行為は時制の問題に関わっており、与える側にとっての利他は未来からやってくるもの、受け手に取っての利他は過去からやってくるものと考えられます。

過去からやってくる例としては中島先生が「あの時の一言問題」と呼ぶようエピソードがあります。中島先生は中学校時代の先生に「論理的な思考が得意なので、野球部に入るよりも塾に通うべき(その後、先生が顧問を務める歴史部に勧誘される)」といわれ、その一言がきっかけで政治学者になるという道筋ができたことに気づいたという話や、北海道時代に政治家となった教え子が中島先生を訪ねてきた際、過去に言われた「政治に向いているんじゃないか?」という言葉がきっかけで、政治家になったと言われたそうです。

中島先生にとっては何気ない一言で、記憶に残っていないものの、受け手が言葉を受け取る/思い出すことで利他の主体が浮上するという関係性があり、中島先生は言葉を受け取ってくれた / 利他の主体として起動させてくれたことに「ありがとう」と感謝の意を伝えたそうです。

受け取っていることへの気付き

利他は様々なものを受け取ることによって起動・成立します。中島先生は、人が生きることは「受け取ること」であり、太陽や大地、死者(過去の人たち)からの贈与を受け取ることで生の営みが成立するとし、過去の蓄積や重層性、言い換えれば過去からやってくる様々な贈与に気づき、自ら積極的に受け取り直すことを通じて、何らかの主体を構築していくというのが保守思想の中核的な概念とまとめられます。

自然や過去に対する恩を感じ尊敬の念を抱くことは、第1回オフサイトセミナーのテーマとして取り上げられたオルテガ『大衆の反逆』においても重要なポイントです。過去への忘恩、万能感(自分が存在することの偶然性や、過去と繋がりの軽視)に支配された人々をオルテガは「大衆」と定義し、それに対する存在として「貴族」を位置づけます。「貴族」の精神と利他の構造は、中島先生が述べるように保守思想や重なる部分が多くあり、自分や主体のあり方を改めて問い直すための切り口になると思います。

 私たちは自然などの超越的な存在からの根源的な「受け取り」に気づくことで生の本質を知ることで、次世代に対する様々な贈与を行う「与え手」になることができると、中島先生はまとめられます。

利他は「受け取る」ことによって自己の存在が成立しているという認識から始まるという構造があり、死者や弔いなども利他と合わせた研究テーマにする必要があると中島先生はまとめられます。講演内では言及されませんでしたが、死者や弔いは電車や道路などの身近なインフラとも密接な関りがあります。

与え手―受け手を軸に利他の構造が論じられた次に、利他の敵について触れられます。中島先生は、利他が利己へと転化してしまった頭木さんのエピソードに触れ、いくら相手のことを思っての行為だとしても、自分の思い通りにコントロールしようとすると利己的な行為になってしまい、他者をコントロールしようとする利己は利他の敵であり、相手の主体に沿うことが利己にとって重要と述べられます。

贈与と利他

利他およびその隣接的な概念である贈与を原理的に考えるうえで、中島先生は参考資料としてマルセル・モース『贈与論』(と、岩波文庫版に収録の「ギフト、ギフト」)をあげられます。贈与については過去のオフサイトセミナーでも重要なキーワードとして登場しており、浜崎洋介先生に担当いただいた第2回オフサイトセミナーでは近内雄太さんの『世界は贈与でできている』(2020、ニューズピックス)や、アダム・グラントの『ギブ&テイク』(楠木健 訳、2014、三笠書房)がとりあげられます。また『世界は贈与でできている』)は、本サイト内でレビュー記事を公開している田内学さんの『きみのお金は誰のため』(2023、東洋経済新聞社)でも参考文献として登場するなど、贈与は重要な用語として繰り返し登場しています、加えて、近内さんは2024年2月に晶文社より『利他・ケア・傷の倫理学』を出版されており、贈与と利他の隣接性を改めて感じさせられます。


モースによれば、贈与とはものだけでなく負債をも相手に与える行為です。何かしらのもの貰った瞬間には嬉しいと感じますが、その後に(何を贈れば良いか不明瞭だが)返礼しなければという負債感が生じます。

物品と負債感を同時に与える贈与には与える・支配 / 被支配・受け取るという権力構造が 含まれていると、モースはいいます。さらにモースはアメリカ北西部の先住民族の儀礼的行為ポトラッチ(贈る、贈り物の意)に着目します。ポトラッチは、部族Aが世代交代などの催事的な宴会に別の部族Bを招待し、招待側に返せないほどに大量の物を贈呈する行為です。贈与行為は単なるギブではなく、中島先生の言葉を借りれば「マウントを取る」ような機能を持ちます。A部族の贈与に相当するような返礼ができなった場合、A・B部族間には序列関係が生じてしまいます。

贈与という行為には相手を支配するという原理が含まれており、それが贈与における最大の難関点であり、贈与を行う際にはそういった原理・関係性に注視する必要をモースは説きます。

コントロールしない/寄り添う利他

それが利他的な動機付けであったとしても、頭木さんのエピソードで確認したように、贈与は支配関係を生じさせる可能性があります。相手をコントロールしない利他はありえるか?  という問い立てに対し、中島先生は相手の主体に寄り添う利他という可能性を提示します。

寄り添う利他を考えるうえでの好例として紹介されるのは、『思いがけず利他』でも言及された「NHKのど自慢」の伴奏です。しかし、2023年4月から同番組はバンド演奏からカラオケに変わってしまったので、言及が難しくなりつつあると付け加えられます。

[参考記事]
のど自慢カラオケ化3カ月 SNSではいまだバンド惜しむ声 NHKは「出演者ファースト」を強調 – 産経ニュース (sankei.com)


「NIHKのど自慢」で(バンド演奏時代に)よく見られた場面として紹介されるのは、イントロのうちに歌い始めてしまったり、キーを外してしまう高齢の出場者です。中島先生が番組の真の主役と考えるバックミュージシャンは、出演者の先走った歌い出しを追いかけるように合わせ、キーがずれた際は瞬時に出演者の音程に合わせるなど、出演者が主体として気持ちよく、能動・積極的に歌える状態を支えます。

高揚しながら歌唱する出演者の人物像や魅力といった潜在力が引き出され、審査の鐘がひとつしか鳴らなくてもその場は祝祭的な雰囲気に包まれます。歌唱やパフォーマンスの技巧よりも、そういった祝祭性を共有することが「NHKのど自慢」の重要な機能であり、その場を作り、出演者の潜在力を引き出すのはバックミュージシャンです。

相手に合わせて寄り添うという利他は、「NHKのど自慢」以外でも、子育てや教育など、日常的なものとして行っている場合もありますが、バックミュージシャンは非常に卓越した技術を持ちながらも自己・あるいは主体を前に出さず、徹底的に相手の主体性に寄り添うという姿勢に、寄り添う利他は知識や技術と精神性の両軸が、非常に重要な場合があるという印象を受けました。

他者に寄り添う利他は、自分の好みや主義を押し付けるのではなく、相手をよく理解し、潜在力を〈引き出す〉ことが重要となります。中島先生が関わる大学教育でも、学生に自分の学説を押し付けるのではなく、学生が何を表現しようとし何を問いとして考えているかを見てその人のあり方を引き出すのかが重要であり、受け手の潜在能力(ポテンシャル)が引き出されたときに成立するというのが利他の本質であるとまとめられます。

お客様と対話・関係性の構築、あるいは長期間に渡るお付き合いが前提となるウェルス・マネジメントにおいても、自分の好みや価値を利己的に押し付けるのではなく、他者に寄り添う利他という姿勢が非常に重要なものでありますし、バックミュージシャンのように知識/技術と精神性の両軸を高めるための不断の努力が欠かせないものと感じています。



後半部 「利他の構造(2)」

 後半部では中島先生の専門領域である政治関連のトピックや、利他に着目する背景(新自由主義が覇権的な現代社会など)に関するお話や、近代的あるいは戦後民主主義的な主体とは異なる与格的な主体(器としての主体)などが取り上げられます。





鈴木 真吾

鈴木 真吾

2023年3月よりインハウスクリエイターとして写真・映像撮影および編集、グラフィックデザイン、DTPなどを担当。専攻は文化社会学、表象文化論等。

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