西郷隆盛と動的宗教(1)
5バリューアセット株式会社は、日本のIFA(金融商品仲介事業者)を変えたいとの理想の下に、代表斉藤彰一が立ち上げた企業です。
当社ではお客様と社会に役立つ存在を目指し、経営哲学・理念の共有や、精神性の修養に努めるべく、外部講師をお招きしての社内勉強会を定期的に催しております。
以下では、当社が開催した社内勉強会についてご紹介させて頂きます。
2024年2月2日、第4回のオフサイトセミナーを開催しました。講師は第2回に続き、浜崎洋介先生(京都大学経営管理大学院 准教授)に担当いただき、「西郷隆盛と動的宗教――人を惹きつける『生き方』を考える」という演題で、西郷隆盛の思想的源泉やエピソード、歴史における功績などを、尊敬される人物像といったテーマと絡めたお話を展開していただきました。
これまで同様、記事の最後にアーカイブ動画へのリンクがありますので、よろしければそちらも合わせてご覧下さい。
「大衆」と「精神的貴族」
今回のテーマに入る前段階として、まずは浜崎先生にご登壇頂いた第2回オフサイトセミナーの導入部の復習として、オルテガ『大衆の反逆』(La rebelión de las masas, 1930)が取り上げられます。『大衆の反逆』については、柴山桂太先生(京都大学大学院 環境科学研究科准教授 )をお招きした 第1回の共通テクストとして使用するほか、弊社オウンドメディア内でも同書に関する記事を掲載しておりますので、こちらもご参照頂ければ幸いです。
オルテガは20世紀初頭に登場した「大衆」を、自分を超えた者=上位規範=歴史に対する畏怖を失ったエゴイストの群れと定義しました。「大衆」の性質で特徴的なものは、無根拠な万能感、「みんなと同じ」であることを志向する凡俗性、過去に対する「忘恩」(歴史の忘却)などがあげられます。
その一方「大衆」と対になるものは、「貴族」「高貴なる生」「卓越した人間」であり、オルテガは自分を超えた者=上位の規範=歴史に対する責任感と、それに対する応答と定義します。第1回オフサイトセミナーでの柴山先生のお話でも言及されたように、マスメディアに取り囲まれている現代において、我々は「貴族」的な精神性の獲得のために修練を続けたとしても、何らかの局面においては
「大衆」性を発揮してしまうがゆえに(「大衆」〈である〉ことから自由にはなれない)、自身の「大衆」性を認めながらもできうる限り「貴族」的な精神性を育むような意識を持つことが、現代をより善く生き抜くために必要とされる姿勢・態度であるともいえます。
何かに仕えることを望むという逆転したものとして捉えられています。
オルテガが「高貴なる生」として定義したそのような人物像を、浜崎先生は「打算だけでは動かず、超越的なものに奉仕しようとする人間」=「宗教的人間」として定義します。さらに端的にいうなら、「お天道様が見てる」という状態を常に意識して、超越的なもの=お天道様に見られても恥ずかしくない行いを心がけるというような心構えです。それは、自分より上位の超越的なもの、あるいは神に相当する存在を前提とし、上位存在の倫理観に基づいて己を律し時には自戒し、内省的で自己を甘やかさない、高貴な精神を持つ人ともいえるでしょう。
超越的なもの、上位存在、「天」、生(命)など、今回は様々な言葉が登場します。それらの多くは「自然」を指しており、その「自然」とは、自然/人という二分法におけるものではなく、もっと漠然とした、「全体」のようなものなのです。それゆえ、具体的な何かをイメージしようとすると後半での議論が難解に感じてしまうため、留意が必要です。
宗教の機能と二つの形態
いわゆるカルトや新興宗教団体を想起されやいため、国内では〈宗教〉という言葉に対して忌避感が持たれがちですが、今回は西郷隆盛だけでなく「動的宗教」(最後に登場するベルクソンの用語)もテーマでもあるため、紋切り型のイメージに囚われない観点で宗教を理解するための解説が続きます。
変動期において社会や文化といったシステムを根拠づけて説明する機能(正当化や転換)や、自身の存在に不安を覚える人に意味を付与するといった働きが宗教にはあるといわれます(芦名定道 ほか『科学時代を生きる宗教』、北樹出版、2004)。また、ベルクソンによれば、宗教は個人を共同体に結び付ける教義・枠組みや、社会システムの維持に関わる「静的宗教」(La Religion statique / static religion)として登場し、凝り固まった教義・社会的な枠組を超えていく力や、人を惹きつける要素を持つ「動的宗教」(La Religion dynamique / dynamic religion)へと進化していきます。
「動的宗教」は、前進や行動すること、神秘家あるいは優れた徳(virtus)を備えた個人を介した「愛の躍動(エラン・ダム―ル / élan d’amour)」によって、他者に愛(字義通りのものではなく、浜崎先生の解釈では肯定感など)や歓喜を伝播・感染させていきます。キリスト教を例にすると、教義は「静的宗教」であり、イエスという優れた神秘主義者は「動的宗教」に相当します。幕末の動乱期における西郷隆盛は、維新志士や西南戦争で蜂起した私学校生といった他者を肯定し、個々人の不安感を鎮め、存在に意味や根拠を与える「動的宗教」とも捉えられます。
前節で提示された宗教的人間や、「貴族」「高貴なる生」「卓越した人間」らが上位の規範や存在を求めそれに奉仕するという関係性を理解するために、浜崎先生は福田恒存『人間・この劇的なるもの』(1956)における「処世術」と、内村鑑三『代表的日本人』(Representative Men of Japanese, 1908)での信仰論を取り上げます。
処世術としての「演技」
浜崎先生は動的なもの(闘いや克己勉励する努力)に心を開くことが宗教の本質であるとしたうえで、福田恒存『人間・この劇的なるもの』を参考に宗教と処世術との関わりを取り上げます。処世術とは、端的にいうと社会生活をうまく送るスキルや世渡りの技巧に関わるものですが万能なものではなく、場合によっては処世の限界に立ち入ってしまう場合があります。その限界に至った際に私たちは宗教の問題、いうなれば自己認識や位置付けに関わる問題に直面します。
『人間・この劇的なるもの』の冒頭部において福田は近代的な主体という理想像を概括的に否定し、私たちは社会の中で「役割」を担い「演じる」存在にすぎないと簡潔に述べます。さらに「自由」についても、力の発揮ではなく苦役やほかの何かからの逃避を目的とする奴隷との思想であるとし、「私たちが欲しているのは、自己の自由ではない。自己の宿命である」と述べます。福田のいう「宿命」は自己が居るべきとことに居る、成すべき事を成すという実感とされ、人は自由(何もしないこと、何かから逃げる)ではなく、必然性(全体)の内に生きることに生きがいを見出すと述べられます。しかし、起こるべきこと(必然性)は自然任せでは到来しないため、人は全体の中での適切な位置を探るための「演技」を行う必要があり、福田は別の著作の中でそれを処世と呼びます。
処世は、ある特定に場において、「場の空気を読む」ようなもので、時と所と立場を認識したうえで、自身が全体性の中で適切に振る舞えているかについて、全体との調和の中で(居るべきところにいるか、成すべきことを成しているかを)確認することが宿命と、浜崎先生はまとめられます(「 空気が読めない」状態に相当する例を、福田は「芝居がへた」と例えます)。
福田は、全体の中において個人は部分でしかないため、偶発的な要素である「死」を先気取って全体の人生あるいは世界を計算・調整することはできるのだろうか、という問いを立てますが、それが不可能であるならば、様々な主義(個人主義・自由主義・理性主義)は頭打ちになってしまい、個人の限界に至ってしまいます。限界を見定めた個人は、最終的には「死」という不条理的な運命を引き受け・信頼し、避けられない「死」という不条理に身を投げ出す態度が要求されます。そして最後に「生と死」という全体を造形する「自然」(日本人にとっての信仰の対象)に対する信頼と、自然への「恭順」が信仰に繋がると、浜崎先生は福田の問いをまとめられます。
西郷の来歴をみると、錦江湾への月照との入水自殺や、二度目の島流しとなった沖永良部島での獄舎生活(屋根がなく生死の先をさまようが、西郷の人間性に感銘を受けた島役人の協力で生かされる)など生死の境に立つ出来事が2回ありました。その経験がまさに個人の限界の見定めや、自然への恭順に繋がり、「天」に対する西郷の信仰をより強固なものにしたほか、「天意」「天命」とも言い換えられうる「宿命」や「必然性」を西郷に抱かせたと考えられます。
浜崎先生は幕末の動乱期(「全体」の計算や調整は不可能であると実感させるような、混沌状態)に、西郷や吉田松陰を含めた多くの人たちが一様に「天」という言葉を使っていたことに触れ、彼らが言及する「天」こそは、禅や陽明学を通じて学んだ「自然」の別名であると指摘されます。そして、「自然」に心を開くこと、いわば「天」/「自然」/「超越的な存在」に奉仕するという役割を引き受けることで、打開策を見いだせる(あるいは直観手来な行動の正当性を、「天の声」や「天意」「天命」として担保してくれる)と考えたのではないかとまとめられます。いわば、西郷らは「天意(命)に従う」、あるいは「天」に見られていてみも恥ずかしくないことを行動理念として遵守する精神性を基盤にしており、「天意(命)」が「宿命」や西郷らにとっての必然や生きがいとして機能しているともいえるでしょう。
「私たちは自己の宿命のうちにあるという自覚においてのみ、はじめて自由感の溌剌(はつらつ)さを味わえるのだ。自己が居るべきところに居るという実感、宿命感とはそういうものである。それはなにも、大仰な悲劇を意味しない。宿命などというものは、ごく単純なものだ。」(『人間・この劇的なるもの』文庫版、23頁)
自由と宿命についての福田の記述をみると、「居るべきところに居るという実感」や「宿命などというものは、ごく単純なものだ」という部分が、西郷隆盛の人物像や、枠にはまらない動的な来歴と密接に重なるような印象も受けます。
内村鑑三の信仰論
内村鑑三『代表的日本人』は、海外向けに英語で記された著作で、上杉鷹山、二宮尊徳(金次郎)、中江藤樹、日蓮上人などが同書の中で紹介されており、同書でまず初めに言及されるのが西郷隆盛です(浜崎先生も同書で西郷隆盛について学んだそうです)。
内村が最初に取り上げるほどに、日本人代表の筆頭たる要素を西郷に見出した理由としては、西郷は(内村が理想とする)武士道の体現者であり、海外に紹介するに相応しい慈愛的なリーダーという点などがありますが、自然(天)という全体/上位概念を信仰するという西郷の行動原理、いわば自然への信仰という極めて日本人らしい宗教観を持っている=基督信徒の日本人という立場からも親近感を抱き、なおかつ海外に日本人を紹介するための最好例として西郷を冒頭に持ってきたと考えられます。
西郷の思想的源泉は、禅や陽明学を基盤にして構築された「天」に対する信仰や忠誠であり、「天」の声が訪れなかったら、西郷は文章や会話の中で「天」について繰り返し語ることは困難ではないかとし、「敬天愛人」という言葉は知の最高極致(その反対は自己愛)であり、西郷の人生観をよく表していると内村は記します。さらに、同書では明治維新の「原動力」として西郷を位置づけ、明治維新を西郷の革命と称しても良いと述べており、内村いう「原動力」を「動的宗教」に置き換えても良いかもしれません。
いずれにせよ、「原動力」「動的宗教」として、西郷は時代の変革期に人々の信頼や尊敬を集めていました。彼がなぜそのような人物足りえたかという理由は、やはり「天」の思想やそのベースとなる陽明学や禅など、自然に対して奉仕することを旨とする「高貴なる生」や、宿命を求めようとする人生観に由来すると考えられます。維新以降の西郷の来歴をみても、様々な運動を率いたり、人の尊敬を集めたりなど、様々な出来事の中心に位置する「原動力」となりながらも、統治者(「天」という超越的な上位存在に奉仕しているという意識の表れ)ではなく、「敬天愛人」という是からくる、稲盛和夫の経営哲学にも引き継がれた利他の精神に基づく行動が数多くみられるほか、内村による西郷評は人々に慕われるリーダーとしての側面が高く評されています。
次の記事では、西郷の来歴や思想的源泉などを辿りながら、人を惹きつける魅力や、尊敬される人であるには、といったトピックを掘り下げていきます。