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内村鑑三『代表的日本人』

内村鑑三『代表的日本人』

内村鑑三『代表的日本人』(Representative Men of Japan, 1908)は、内村の札幌農学校時代の内村の友人でもあった新渡戸稲造の『武士道』(Bushido spirits of Japan, 1899)、岡倉天心の『茶の本』(The Book of Tea, 1906)とならび、日本人が外国語で日本について書いた、当時の代表的な本として知られています。また同時期には外国人によるアカデミックかつ本格的な日本および神道研究の先駆なる、ラフカディオ・ハーン『神国日本』(Japan An Attempt at Interpretation, 1905)などが刊行され注目を集めるなど、諸外国が日本への関心を高めていた時期でもあります。

本書のベースとなった『日本及び日本人』(Japan and the Japanese, 1894, 明治27)は日清戦争中に刊行され、同時期には内村の代表作『余は如何にして基督信徒となりなりし乎』(How I Became a Christian, 1895)も並行して執筆されていました。『日本及び日本人』は日本人でありクリスチャンである内村が選出した5名の日本人に関する随筆的な解説(随想)で、各人物についての底本はあるものの、史実的な人物評伝とは異なる内容になっています。

『日本及び日本人』は日清戦争の最中に刊行された「日本人論」であるため、日露戦争中に執筆されたハーンの『神国日本』(初翻訳は1916年)と同じく国粋的な文脈に回収されるような危惧もありますが、内村は日清戦争を「義戦」と信じたことを猛省し、日露戦争の開戦に対しては「絶対非戦論」という姿勢を取り、戦争肯定などの箇所を削除した改稿版として『代表的日本人』が刊行されました。

再編集を行ったとはいえ、西郷隆盛の章などには『日本人及び日本人』で見られた戦争肯定やナショナリズムの名残があり、岩波文庫版の訳者解説では「日露戦争後の改版にあたって、古い思想の文章は除き、人物論として題名もRepresentative Men of Japanに改めたのである。それにもかかわらず。西郷隆盛論などには、まだ随所に残滓が認められるであろう(172頁)と指摘されます。

内村はまえがきで「青年期に抱いていた、わが国に対する愛着はまったくさめているものの、わが国民の持つ多くの美点に、私は目を閉ざしていることはできません。日本が今もなお『わが祈り、わが望み、我が力を惜しみなく』注ぐ、唯一の国土であることには変わりありません。わが国民の持つ長所――私どもにあるとされがちな無批判な忠誠心や血なまぐさい愛国心とは別のもの――を世界に知らせる一助となることが、おそらく外国語による私の最後の書物となる本書の目的であります。」(11頁)と述べるように、戦争に伴う領土拡張で各国の注目や警戒を強める日本ではなく、近代化=西洋化以前の日本の精神や日本人像を解説するような狙いが推察されます。

5名の代表的日本人

本書で言及されるのは掲載順に、西郷隆盛(1828-1877)、上杉鷹山(1751-1822)、二宮尊徳(1787-1856)、中江藤樹(1608-1648)、日蓮上人(1222-1282)の5名で、西郷が江戸後期~近代日本、上杉・二宮が江戸中期、中江が江戸初期、日蓮が鎌倉時代という時代区分に相当します。また、5名に共通するのは儒学の影響を強く受けているという点で、さらに日蓮を除く4名は江戸初期に伝わった陽明学(中江は日本における陽明学の祖とされる)の影響を非常に強く受けています

尊徳の例では「報徳思想」における「至誠と実行」や「徳経済合一」に陽明学の影響が反映されており、「敬天愛人」という座右の銘(中村正直の造語とされる)を愛した西郷隆盛の生涯は「知行合一」(知識は実践を通じて真に知ることができる)や「至誠(心からの誠実さ)」という陽明学の教えを指針とするような行動に満ち溢れたものでもあります。

近世・近代では陽明学の影響力が目立つ一方、日常生活の諸要素を規定してきた神道(ハーン『神国日本』を参照)、仏教、儒教・儒学もまた近代(西洋化)以前の日本の精神を形成してきた伝統であることを、本書の通読によって再認させられました。

近世では四書五経(『大学』、『中庸』、『論語』、『孟子』と『易経』、『書経』、『詩経』、『礼記』、『春秋』)の存在が大きく、薪を背負う姿が有名な二宮金次郎像が読んでいる本は『大学』であり、江戸時代の寺子屋や藩校では四書五経の素読(意味を考えず漢字の書き下し文を音読する学習法)が行われるなど、儒学が身近な教えとして位置づけられていました。

西郷隆盛は明治維新の中心人物であり、二宮尊徳は農政家・農業改革者であり今日における協同組合の源流を築きました。両者とも利他や謙譲、徳、天命を重んじ、自然に対する畏怖の念といった日本的な思想・精神を強く持っています。

また両名は日本の伝統的な思想や道徳観を集約したような精神性(あるいは「貴族」の精神)を強固に有する人物でもあり、現代においてもなお両者に学ぶことは非常に数多くあります。また、当社で開催している「5バリュー研修」においても西郷と尊徳をテーマとして取り上げているので、ご興味のある方はぜひ関連記事をご覧ください。

「為せば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」という言葉を遺した上杉鷹山は、質素倹約・産業育成・人材教育で米沢藩を立て直した(この点は尊徳との共通項を多く見出だせます)ことで名君として称えられるほかJ・F・ケネディが「最も尊敬する日本人政治家」と言及したことでも有名です。

ルターと重ねて語られることもある仏教の急進的改革者である日蓮上人は日蓮宗の開祖として知られている一方、中江藤樹は本書で取り上げた5名の中では現代における知名度は低いと思われますが、戦前の修身の教科書には「近江聖人」として登場していたそうです。

藤樹は日本における陽明学の祖であり没後に「近江聖人」と称えられた高徳者であり、後の上杉鷹山、二宮尊徳、西郷隆盛にみられる謙譲や利他の精神の源流を成す存在として、5名の中では特に印象に残りました。

なぜ日本人論か

第一章に「西郷隆盛――新日本の創設者」が配置されるのは、本書で取り上げられた5名のうち最も近い時代の人物であるということが、大きな理由のひとつと推されます。加えて、内村は明治維新の原動力や、天命に基づいて方向性を定める精神となった中心人物として西郷を評している(21-22頁)ほか、海外に対して日本人の精神性を語るうえでの出発点が明治維新であることに起因するためであり、明治維新について内村は次のようにも述べます。

 1886年の日本の維新革命は、2つの明らかに異なる文明を代表する2つの民族が、互いに立派な交際に入る、世界史上の一大転機を意味するものであります。
 「進歩的な西洋」は無秩序な進歩を抑制され、『保守的な東洋』は安逸な眠りから覚まされたときであったと思います。そのときから、もはや西洋人も東洋人もなく、同じ人道と正義の元に存在する人間になりました。

(14頁)



東洋人/日本人が西洋と同じグローバルな舞台に立つ段階に至ったからこそ、改めて代表的な日本人像や思想・精神の源流や、Japan(日本/祖国)とJesus(イエス・キリスト)からなる「2つのJ」を思想的な核に持つ内村が、5名の代表的日本人を通じて見出したキリスト教との関連性を海外に提示することが『代表的日本人』の主題のひとつにあると推察されます。

ハーンの『神国日本』は、日本に強い愛着や憧憬を抱く非クリスチャンの西洋人が、主観的な記者の眼ではなく客観的なアカデミックな観点で宗教社会学や文化人類学に準じた分析をもって海外に日本を紹介する一方、『代表的日本人』はクリスチャンの日本人が「2つのJ」という思想的命題を持って西洋化以前の日本の精神性を海外に紹介するという対比的な内容になっています。とはいえ、西洋人(アイルランドとギリシャのハーフ)と東洋人(武家の家系の日本人)が各々の見出した日本を紹介するという整った対象関係ではなく、非クリスチャンの西洋人とクリスチャンの東洋人という違いが、両者の日本観の差異に複雑な捻じれを生じさせているようにも感じさせられます。

訳者解説によれば、執筆当時の内村は「近代の西洋文明と、それを安易に受容した近代日本文明への批判」などを主題として織り込んでいたそうです。一方、現代の日本において古典として位置づけられる本書を読む意義としては、前近代の日本的精神や伝統を学び、今日にも引き継がれている諸要素を再発見することなどがあげられます。

伊地知恭右・羽鳥剛史・藤井聡による共同研究「内村鑑三『代表的日本人』通読による大衆性低減の持続効果に関する実験研究」(2010, 『人間環境学研究』8巻2号, 169-180頁。以下「持続効果に関する実証研究」)では、本書の通読が対象者の心理に及ぼす影響を統計学的に調査したもので、オルテガが『大衆の反逆』(La rebelión de las masas, 1930)で、近代における道徳退廃や価値観喪失による寄る辺のなさなどを「大衆」あるいは「平均人」(社会的階級ではなく、個々人の精神的態度)と呼んだ精神的特徴に通読がもたらす変化が分析されます。

伊地知らによる以前の先行研究「内村鑑三『代表的日本人』の通読による大衆性軽減効果に関する報告」(2010, 『土木学会論文集D』, 66巻1号,40-45頁 。以下「軽減効果に関する報告」)では、質問項目に基づいて大衆性に関する質問項目を設定し、「傲慢性」(自己万能感、思い通りに物事が進むという盲信)と「自己閉塞性」という2つの因子が大衆性を構成していることが指摘されました。また、「持続効果に関する実験研究」では、先行研究において、オルテガが「大衆」の対概念として提起した「貴族」や道徳心の向上と考えられる「古典(歴史)」といった要素を考え、5名の偉人に宿る日本古来の同時代倫理の高潔性を説いた啓蒙の書である『代表的日本人』を「良書」として捉え、「良書」の通読と大衆性の関連(「持続効果に関する実証研究」, 170頁)について優位性のある調査結果が提示されました。

本書が「良書」である理由について、「5人の『代表的日本人』がその人生において経験した『困難』や『義務』、あるいは彼らの有する『徳』について述べられており、すくなくとも内村の目に映じた彼ら『代表的日本人』は、オルテガの論ずる『貴族』なる存在、すなわち『自らに多くを求め、進んで困難と義務を負わんとする』者に相違ないのではないかと思われる。加えて、その歴史(伝記)的著述の内容により、『古典(歴史)」という要素は当然担保されるものと考えられる。つまり、大衆性抑制に寄与すると考えられる『良書』の条件が、『貴族性』と『古典』という要素の具備であると考えるならば、本書『代表的日本人』はこれらの条件を満たす一つの『良書』と考えられる」(「持続効果に関する実証研究」, 179頁)と述べられます。

伊地知らが2010年に発表した「軽減効果に関する報告」では、書籍通読直後(約2週間後)においては、「傲慢性」の抑制に通読の効果が確認でき、『代表的日本人』の通読が「部分的なものであれ、大衆性の抑制に寄与する方向性に働く可能性を示唆すると解釈できる」(「持続効果に関する実証研究」, 179頁)とされます。

ですが、「持続効果に関する実証研究」では、3か月後の調査では統計的に優位な結果は得られず「『代表的日本人』の通読は、傲慢性の抑制に対して短絡的な効果を及ぼし得るものの、少なくとも『万人』対しては、読了後の時間に経過に伴い、その効果が安定的に持続しがたい可能性が存在する」(同前)と結論付けられますが、「一個人においては『代表的日本人』通読による効果が安定的に持続し難い可能性が示され、一個人における一冊の『良書』通読による効果に限界が示唆されたものの、この『良書』波及による2次的な効果を加味するならば、大衆性抑制に向けた方策の一つとして、良書通読という方途には、一定の有用性があると考えられる」(同前)と結論付けられます。また、通読実証研究は大学生のみを対象としているので、「良書」の通読による効果については追加の分析や仮説検証の必要であることも付け加えられています。

伊地知らの調査研究では「大衆性」の抑制や、5人の「代表的日本人」が持つ「貴族性」(あるいは精神性や「徳」)が通読や『代表的日本人』の紹介を通じて人々の間で自発的に波及(伝染)する、いわゆる「古典」としても機能する可能性が指摘されます(179頁)。5人の「代表的日本人」に共通する部分は利他の精神、自然や「天」に対する畏怖・敬愛の念や、傲慢にならず謙遜的な姿勢(改革者として活躍していた時期の日蓮は除く)であり、先人に対する内村の評伝を通じて、彼らの「貴族」性を学び実践する(「知行合一」)意識を持つことが、本書の通読によってもたらされる効果のひとつといえます。

中江藤樹以降の3名に関するエピソードは陽明学の影響もあり、「天人合一」といった天の思想あるいは「天命」を強く意識させるものが多く、本書を通読した後に第1章「西郷隆盛――新日本の創設者」を読み直すと代表的日本人の特徴を「知行合一」によって最も体現しているのはやはり西郷隆盛であると強く感じさせられます。

本書では言及されませんが、「代表的日本人」の特徴を強く体現していたといえる人物として、御成敗式目を制定したことでも知られる北条泰時(1183-1242)があげられます。日蓮の半生と重なる泰時の時代は陽明学が広まる以前で、仏教(鎌倉新仏教の6衆派: 浄土宗、浄土真宗、時宗、臨済宗、曹洞宗)が当世の思想と強い関連性を持っており、泰時の無私無欲、謙遜的な立ち振る舞い、利他の精神などは陽明学の「知行合一」のように学問研究と実践修行の統一を図ったことで知られ、研究と実践修行の統一は泰時の相談役を務めた明恵上人の教えに拠るところが多いとされています。

中江藤樹にみる代表的日本精神

本書で取り上げられる5名の中で特に注目したいのは中江藤樹の「考」や謙徳を重んじる思想と、藤樹が日本に広めた陽明学が後の日本的精神に与えた影響です。

中江藤樹は戦国時代の最中である1608年に近江国(滋賀県)に生まれ、四国で祖父母によって育てられました。当時はまだ戦が男たちの仕事と考えられており、「学問や思想を求めるなどは、世の実際家にとり、なんの価値のないものと思われていた時代」(104-105頁)ですが、藤樹は11歳で『大学』を読み(少年期に『大学』に親しんだのは二宮尊徳も同様)、「天子から庶民に至るまで、人の第一の目的とすべきは生活を正すことにある」という一説に感銘を受け、「聖人たれ」という大志と立てた(105頁)と内村は記します。

13歳の頃には天梁という僧侶の下で漢詩と書道を習い、中で多くの質問を発したといわれており、内村は藤樹の人物を物語るものとして次のような質問を紹介します。

 仏陀は生まれると、一方の手は天を、他方の手は地を指し、天上天下唯我独尊といったとお聞きしました。こんな傲慢な人間が天下にいるでしょうか。先生は、そんな人間を、なぜ理想的な人物と仰いでおられるのでしょうか。お教えください。

(106頁)



謙譲に徹することを理想としていた藤樹にとって仏陀は理想に適う人物ではなく、後年も仏教に関心を抱けなかった(106頁)と内村は記します。17歳で「四書」の揃いを手にした藤樹はさらなる学究に励み、祖父母と父が世を去った後、近江に残した母への考のために伊予大洲藩を脱藩しました。

近江に戻った後は貧しいながらも母の近くでの暮らしを営み、「2年間、藤樹は、この貧しくて世に知られぬ生活をしていました。その著述による限り、この間はもっとも幸福な時期でした。(……)藤樹の全道徳体系は、子としての義務(考といいます)の中心としていて、この中心的な義務を欠くならば、藤樹はすべてを失って、心が落ち着きません」(109頁)と内村は記します。

儒教における「考」を「知行合一」として体現するような生活を続け、28歳で村に学校を開き、中国の古典、歴史、作詩、書道などを教え、村人にも様々な協力を行い、世に名が広まることを忌避した隠遁的生活の中で「積善」を実践していました。

後に、先生と仰ぐべき聖人を全国に探し求めていた熊沢蕃山(陽明学者、日本初の森林思想を提唱)が弟子入りし、蕃山が岡山藩の家臣になったことでその名がさらに広まり岡山藩主 池田光政の訪問を受け、「近江聖人」と称される頃には全国からの相談・訪問を受けるなど著名人として世に名が知れ渡っていきます。

内村によれば、藤樹の学問上の歩みは、「同時代の人と同じく、保守的な朱子学で育てられた時期」(自身への不断の探求や内省)と、王陽明の著作に出会って以降の二期に分けられ、第一期における内省・知識編重は第二期では実践(「知行合一」)へと変化したとされます。

藤樹の倫理体系において「謙譲の徳」に最高の地位が与えられていることに着目した内村は、「藤樹にとり謙譲の徳とは、そこから他の一切の道徳が生じる基本的な道徳でした」(121頁と記し、「謙徳」、「虚」、「徳」に関する藤樹の言葉をとりあげます。

学者は、まず慢心を捨て、謙徳を求めないならば、どんなに学問才能があろうとも、いまだ俗衆の腐肉を脱した地位にあるとはいえない。慢心は損を招き、謙譲は天の法である。謙譲は虚である。心が虚であるならば善悪の判断は自然に生じる。 

(121頁)

昔から真理を求める者は、この語につまずく。精神的であることは虚であり、虚であることが精神的である。このことをよくわきまえなければならない。 

(121頁)

徳を持つことを望むなら、毎日善をしなければならない。一善をすると一悪が去る。日々善をなせば、日々悪は去る。昼が長くなれば夜が短くなるように、善をつとめるならばすべての悪は消え去る。

(121-122頁)





時代は異なりますが、「謙徳」や「虚」はオルテガのいう「貴族」の精神や道徳心の向上に類似しており、藤樹の前に取り上げられた西郷隆盛、二宮尊徳、上杉鷹山にも「謙徳」や「虚」が継承されているという印象を強く抱きます。

藤樹は1648年に40歳で世を去りますが、「近江聖人」として広く知られた人物の葬儀は国をあげての行事となったといわれています。また、藤樹の邸宅は村人によって修理保存され、2026年現在も愛媛県大洲市に残っています。そのほかにも、藤樹の名を冠した神社(訳注によれば、1882年に藤樹書院内に設けられた洞堂を指すと推測。1922年には滋賀県高島市に藤樹を敬慕する人々によって書院の近くに藤樹神社が建立される)も建てられるなど、後世においても影響を残しています。

末部で「幸か不幸か、藤樹の名は『世に鳴り渡り』(おわかりのように本人の願いに反し)ました。これは望みを高くして人生を送るならば、黙した人生を送ったとしても力をおよぼすことを、藤樹から学ぶためかもしれません」(125頁)と内村が述べるように、「私」を前面に出す近代の立身出世的な価値観よりも、謙譲・謙徳を尊び「私」を出来る限り後方に下げる日本的な価値観の好例が藤樹の思想に見出せます。

藤樹の章では陽明学についての言及は僅かに留まりますが、内村は西郷の章で「陽明学は、中国思想のなかでは、同じアジアに起源を有するもっとも聖なる宗教と、極めて似たところがあります。それは、崇高な良心を教え、恵み深くありながら、きびしい『天』の法を説く点です」(17頁)と述べられるほか、キリスト教との類似点について次のように記します。

陽明学とキリスト教徒との類似性については、これまでにも何度か指摘されました。そんなことを理由に陽明学が日本で禁止同然の目にあっていました。「これは陽明学にそっくりだ。帝国の崩壊を引き起こすものだ」。こう叫んだのは維新革命で名をはせた長州の戦略家高杉晋作であります。長崎ではじめて聖書を目にしたときのことでした。そのキリスト教に似た思想が、日本の再建にとっては重要なものとして求められたのでした。

(19頁)



代表的日本人から何を学ぶか

本書の原型である『日本及び日本人』が刊行されたのは1894年で、日本は急速な近代化の只中にあり、ラフカディオ・ハーンが『知られぬ日本の面影』(Glimpses of Unfamiliar Japan)を刊行した年にもあたります。時代的な潮流を見ると、「日本人とは何か」を海外のみならず、グローバルな土俵に足を踏み入れた国内の日本人自身も改めて考える必要が生じた時代であったと思われます。

そういう意味では、『代表的日本人』は、日本人にとっては日本精神や、キリスト教徒の観点を持つ内村が日本精神に見出した、キリスト教にも通ずる「聖」や「徳」を再発見するための書物ともいえます。また、一般的な偉人伝とは異なる内容でもあり、武士(西郷)、藩主(上杉)、農民(二宮)、儒学者(中江)、宗教家(日蓮)5名の代表的日本人の中で誰が一番印象に残ったかも読み手の関心によって変わると思われます。

5名に共通する要素としては、「利他」、「徳」、「知行合一」、「天命」などが上げられ、それらが伝統としての日本的精神の根幹を成しているといえます。近世以降は仏教や朱子学よりも陽明学の影響が色濃く出ているという印象もありますが、儒教(学)と仏教が5名の代表的日本人のバックボーンにあると改めて感じさせられます。

本書の通読による効果としては、代表的日本人の精神が現代に継承されたと思しき考えや概念に接した際に、「利他」、「徳」、「知行合一」、「天命」といった思想・精神的特徴を想起したり、自身の行動指針として特に中江藤樹が重んじた「知行合一」や「謙徳」を取り入れること、いわば伊地知らの指摘する「大衆性」の抑制のような心構えを学ぶことに結びつくことなどが想定されます。

本書は5名の人物についての随筆的な評伝であり、その内容も平易で読みやすくい内容で、『NHK「100分de名著」ブックス 内村鑑三 代表的日本人』の著者である若松英輔さんが「内村は、この5人に『会って』、じかに話を聞いたような筆ぶりで書いている。それどころか、その人物の志を全身で引き受けて語るようなところすらあります」(NHK出版デジタルマガジン)と述べるように、内村は5人の魅力や尊敬に値する理由などが、日本に対するラフカディオ・ハーンを想起させる熱情的な憧れを持った語りが展開されています。

その語り口や内容も軽快で非常にスムーズに読むことができるので、読書習慣を付けたいという方や長らく読書から離れているのでリハビリを行いたいという方にも適した一冊として活用できると思われます。



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鈴木 真吾

鈴木 真吾

2023年3月よりインハウスクリエイターとして写真・映像撮影および編集、グラフィックデザイン、DTPなどを担当。専攻は文化社会学、表象文化論等。

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