ホーム > 思想・哲学 > ラフカディオ・ハーン『神国日本  解明への一試論』(1)

思想・哲学

ラフカディオ・ハーン『神国日本  解明への一試論』(1)

ラフカディオ・ハーン『神国日本  解明への一試論』(1)

近年では、NHKの連続テレビ小説『ばけばけ』でラフカディオ・ハーン(日本名: 小泉八雲)に興味を持ったという方も多いと思われます。ハーンといえば、「雪女」や「耳なし芳一」「むじな(のっぺらぼう)」が広まるきっかけとなった『怪談』の作者であり、欧米圏への日本文化の紹介者であり、新聞記者、紀行文作家、随筆家、日本研究家など様々な肩書きを持つ人物としても知られています。

『知られぬ日本の面影』(Glimpses of Unfamiliar Japan, 1894)、『心』(Kokoro: Hints and Echoes of Japanese Inner Life, 1896)『怪談』(Kwaidan, 1904)などが代表作であり、遺作にあたる本書『神国日本 解明への一試論』(JAPAN: An Attempt at Interpretation, 1904)は、他の著作に比べて学術的要素・専門性が強い内容となっています。

日本での翻訳は、「学生版」「家庭版」などのヴァリアントがある『小泉八雲全集』(1916, 三一書房)の1冊として、ハーンが東京帝国大学英文科に在籍していた頃の教え子である戸川秋骨(本名: 秋三)による翻訳が最初の日本語版になります。その後、1927年に『小泉八雲全集』(学生版)の第8巻、1938年に単行本(戦時体制版)が第一書房から刊行され、1942年には田部隆次が訳者に加わった改訳版が同じく第一書房より刊行されました。

戦後は、1964年に『小泉八雲作品集』として平井呈一訳が恒文社から、1976年に柏倉俊三訳でラフカディオ・ハーン名義での『神国日本』が平凡社より刊行されました。また、小多光雄さんは原著の扉に「神國」の文字があること(参照: KITAZAWA BOOKSTORE)や訳者が戸川であることが、『神国日本』という邦題が採用された要因であることや、平井呈一訳の『小泉八雲作品集』(1964, 恒文社)では「日本― 一つの試論」の邦題となったことに言及され、本記事で扱う平凡社版についても「この『神国日本』というタイトルは多様な波紋を生じさせたはずだし、さらに英文学者の柏倉俊三訳注『神国日本』(平凡社東洋文庫、昭和51年)として刊行されたことは、その呪縛力の持続を物語っているのだろう」(「古本夜話1037  田辺隆次、『小泉八雲全集』、戸川明三訳『神国日本』」 )と述べられるほか、大塚英志さんは田辺が加わった改訂版の解説では、原著の「JAPAN」のうえに「神国」という漢字があることに言及するほか、『神国日本』は八雲が望んだ題名であることが強調されている(大塚英志『八雲と屍体 ゾンビから固有信仰へ』, 2025, 太田出版, 261-262頁)と指摘されます。

説話文学や随筆のイメージが強いハーン/小泉八雲の主要著作とは異なり、『神国日本』は学術的な内容であるほか、全集の古書価格も高騰しており、平凡社版も絶版であることや「多様な波紋」を生じさせうる邦題の影響もあるためか、本書は日本国内ではあまり知られていない「ハーンの著作」という印象があります。

とはいえ、『神国日本』はラフカディオ・ハーンではなく小泉八雲名義の著作としては、ヴァリアントも含んだ刊行史でみたように国内での認知度は高く、2026年1月下旬には、共にハーンの教え子である戸川明三・田部隆次訳の『神国日本』毎日ワンズより刊行されました。

毎日ワンズ版は戸川・田部訳であることから改訂版が底本になっていることが窺えるほか、HPの内容紹介を参照すると本編全22章の半分ほどをまとめなおし、順番の変更・章の追加(第11章「美しき日本婦人」)などが行われ、除外された主な章(章題は柏倉訳)としては「日本の家族」、「社会組織」のほか、平凡社版の第18-22章などが確認できます。

平凡社版は古本以外では電子書籍(Kindle)版も購入できるものの、活字時代の紙書籍をスキャンしたものであるため、多少の読み辛さはありますが、単行本の古本価格が高騰しているため、電書版であれば手軽に読むことができます。Kindleではそのほかにも上下巻分冊の『【復刻版】小泉八雲の「神国日本」』(響林社文庫)があり、こちらは第一書房の『小泉八雲全集(学生版)』第8巻(1931, 戸川明三 訳)の版面をスキャンしたものとなっています。加えて、戸川訳での戦時体制版(1938, 第一書房, 奥付の後に第一書房の長谷川巳之吉による「戦時体制版の宣言」が掲載)は国会図書館のデジタルコレクションでも閲覧できるので、興味のある方はそちらもご参照ください。

他の版に比べやや専門的な内容は多くあるものの、元々はアメリカの大学での講演原稿をベースにし、欧米の読者を対象とした日本研究の書という本書の成り立ちを踏まえると、小泉八雲ではなくラフカディオ・ハーン名義で刊行された平凡社版『神国日本』がもっとも中立的、あるいは原著に近い内容(日本研究・日本論の古典)といえるでしょう。

平凡社版の訳者である柏倉俊三さんが「彼独特の人生観社会観を根底にして、情緒の裏打ちを見せながら理論的に整理統合した力作であり、彼の日本研究の卒業論文といわれるものである」(452頁)と本書について述べるように、『神国日本』は社会学、民俗学、宗教学、その他にも様々な観点から、主に宗教的要素(原始・古代、神道、儒教、仏教、キリスト教/イエズス会・フランシスコ会)に立脚した日本文化の成り立ちや時代による変化などを分析したもので、専門知のみならず『見知らぬ日本の面影』においても、その成果がふんだんに織り込まれたハーンのフィ―ルドワーク(特に島根県松江市での在住経験)に基づいた学術書としての色合いを含みつつ、日本を理解・紹介するための物語としての機能を持つ再話文学作品(ベンチョン・ユー『神々の猿: ラフカディオ・ハーンの芸術と思想』)ともいわれているほか、水野真理子さんは『神国日本』の内容を次のようにまとめられます。


ハーンは日本の不思議さ、美しさの魅力の根源を宗教に探り、日本国民の特質を、民族の信仰の歴史のなかに、そして宗教を本源とし、そこから発展した日本の社会制度のなかに見出すことを、この著作で試みようとした。さらに、その際には、ハーンが多大な影響を受けていた、哲学者ハーバード・スペンサーの理論を援用して、日本の不思議さに、科学的、合理的な説明を施すことを試みた。

(「ハーンはアメリカでどう読まれたか」, 91頁)



多少難解な部分も含みますが、日本人にとっては自国の歴史や社会体制の変遷などを宗教(religion)や信仰(faith)といった観点から省察するための参考書としての役割を、本書は担っています。いわば、日本文化に関する近代以前からの伝統や文化を知ることで、過去に対する「忘恩」(オルテガが『大衆の反逆』で指摘した大衆の特徴)を是正するための契機が本書の中に含まれており、エドマンド・バーク『フランス革命の省察』(1790)の系譜に連なる保守思想が含まれた本であるともいえます。

加えて、ハーンが日本の自然に対して抱いた印象(『新編 日本の面影』などを参照)は、バークが『崇高と美の起源』(1757)で論じた「崇高(sublime)」(崇高は恐怖と類似しており、雄大かつ巨大な自然に対する恐怖が「崇高」の念に変転する)を想起させる部分が多く見られる点からも、バークとハーンの思想には高い親和性があることが窺えます。

「神国」としての日本を知る

宗教が本書のメインテーマであると聞くと、「宗教」という言葉からカルト的な新宗教(new religious movement)をイメージしてしまいがちですが、本書で扱われるものは上代(飛鳥・奈良時代以前)から受け継がれてきた自然に対する信仰や祖先崇拝、霊(sprit)に関する考え方や、千年以上に渡って国内の覇権を握ってきた仏教のもたらした影響や外来宗教の受容に関するものが中心となっています。

前述のように、原題の直訳は「日本国 -解釈のための詩論-」であり、原題には「神国」に相当する語は入っていませんが、原著の扉には英語タイトルの上に「神國」の文字が添えられていることや、ハーンの教え子でもあった戸川秋骨(本名: 明三)が本訳を担当したことで『神国日本』という邦題(原著は日露戦争、邦訳は第一次世界大戦、戦時版は日中戦争、改訂版は太平洋戦争の最中に刊行)が付けられ、平凡社版にもその邦題が引き継がれています。また、ハーンの著作は主として英語で書かれ、刊行当時の書評者や読者層は国際政治に関心が高い層が中心となっており、水野さんは次のように述べられます。

ハーンが『日本』において、近代化を成し遂げ、西洋列強の仲間入りを目指す日本の将来と西洋諸国の関係について関心を向けていたように、評者も日本のありかた、政治、西洋諸国らをめぐる国際関係に強い関心を抱いており、日本の政治的行動の根幹にある神秘性や精神的側面をハーンの著作から正確に知りたいと思っていたようだ。そこには、日本が日清戦争で勝利し国際舞台に躍り出てきたという社会背景が影響しているだろう。
                    (「ハーンはアメリカでどう読まれたか」, 92頁)



当時の日本の不思議さを理解するための根幹として、諸外国ではあまり知られていなかった神道やその信仰観(本書以外でも、ハーンは古代ギリシャの自然崇拝と八百万信仰の共通性について言及)が取り上げられているほか、マッカーサーの秘書ボナー・フェラーズはハーンの愛読者であり、本書を熟読したうえで来日し、戦後統治にも影響を与えたという逸話が残されています。

「神国」という名称は、急速な近代化を押し進めて西洋列強と肩を並べつつある新興国であり、海外から見ると謎に満ちた部分が多かった19世紀末から20世紀初頭の日本の文化や精神性を理解するためのキーワードとして強い訴求力を持っていたと考えられます。 

一方、古い神話に従えば最初の日本人は神の子孫(復古神道の根幹を成す信念)であり、突き詰めていけば日本人はすべて神であると解釈する国学者・神道家の平田篤胤の主張を引き、ハーンは「その国はりっぱに神々の国、――つまり『神国』あるいは『神の国』と呼ばれるわけである。この平田説を文字通りに解すべしだろうか。わたくしは文字通りに解すべしと思っているが(……)平田はおそらく四つの大きな階級すなわち、士、農、工、商だけを念頭に置いたのだろう」(101頁)とも記しています。

『知られぬ日本の面影』の中では「日本には神国という尊称がある。そんな神々の国の中でも、一番神聖な地とされるのが、出雲の国である」(『新編  日本の面影』, 104頁)という記述があり、ハーンはシンプルな尊称としての「神国」を著作に添えたと推測できる一方、「神国」という用語の持つ意味は非常に可変的なもので、土着的な信仰観(古代神道・八百万信仰/アミニズム)から平田が復古神道として体系化した思想に基づくものまで、時代や政治情勢などによってニュアンスが変わるような多層的な意味を含有するほか、日本では一神教的な「神」とは全く異なるものとして「神」を捉えていることを示唆するためとも考えられ、本書における「神国」という言葉は今日的な用例とはやや異なる文脈で使われていた可能性についても留意が必要となります。

加えて、個々の氏(クラン)を特徴づけるトーテムに類する象徴、祭祀、儀礼、神話などを軸とし、国家の「道」となった「宗教」ではなく、上代に発生し仏教や儒教と混ざり合いながら日本的精神を支えてきた信仰心や世界を認識する視点としての神道(後に触れる三形式の中でいえば、第二段階と第三段階の間)を、ハーンは重視しているような印象を受けました。

全22章と付録(スペンサーが日本の政治家に宛てた助言の書簡)からなる本書の内容はアメリカの大学で予定されていた講演の原稿(21回分)を基にしており、その内容は「上代の祭祀」(第3章)、「家庭の宗教」(第5章)、「地域社会の祭祀」(第6章)、「神道の発展」(第7章)、「仏教の伝来」(第10章)、「武家の興隆」(第13章)、「忠義の宗教」(第14章)、「キリシタンの災厄」(第15章)、「封建制の完成」(第16章)、「神道の復活」(第17章) というように非常に細かなトピックに分けられており、第3章~第9章が、祖先崇拝、死者が神的存在になるという信仰観、氏(クラン)や族(トライブ)、集団のトーテムとしての「氏神」や、家庭・地域における宗教や祭祀など、社会学・民俗学的な観点から日本の特徴が論理的に分析されます。

本書におけるハーンの議論は、日本に恋する情熱家ではなく日本研究者としての姿勢が貫かれており、訳文の調子との関係もありますが随筆集『新編 日本の面影』(池田雅之 訳, 2000, 角川書店)の訳者解説にある「ハーンは日本という恋人と恋愛状態に陥っていて、日本の全てを愛し、日本のすべてを追い求め、日本の全てを彼の胸に抱きとめようとしているかに見える」(『新編 日本の面影』, 302頁)というようなハーンの語りは第2章「珍しさと魅力」に垣間見える程度に留まります。

情熱的かつ軽快な、日本に対するハーンの語りを本書に期待すると、内容の重厚さに圧倒されるかもしれません。実際、神道・儒教・仏教のハイブリッドとでもいうべき身の回りにある様々な文化・習慣のルーツを紐解いていく前半部(第10章あたりまで)は記述が緻密な分、社会学や文化人類学に馴染みがない方は多少難解に感じる箇所があると思いますが、後半部(おおむね第13章以降)では取り上げられる出来事が連鎖的な地続きとなっていくので、読みやすさや内容の面白さは上がっていくような印象を受けました。

第15章「キリシタンの災厄」、キリスト教以外の宗教に寛容な姿勢を示し、自身は浄土宗を信仰しつつ神道にも大きな関心を寄せる(家康の後援した国学者が神道の復活に寄与)話が登場するほか、鎖国令についても詳細な分析が加えられる第16章「封建制の完成」、本居宣長・賀茂真淵・平田篤胤といった国学者が中心となった知的革命や薩摩・長州藩の影響力など取り上げた第17章「神道の復活」までは歴史のダイナミズムや連続性などを強く感じさせてくれます。

また、第17章から第22章「反省」までは明治維新以降・近代日本が中心となるので、第20章「官史教育」、第21章「産業の危機」など当時の社会構造に緻密に解説した章を除けば、前半に比べてスムーズに読めると思われます。

宗教という側面から日本を考える

ハーン自身は日本の宗教の中でも神道を最も重要視しており、日本名の由来である「八雲」は出雲国を象徴する言葉であるほか、ハーンの時代では杵築大社という名称であった出雲大社についても多くを記すなど、国学の流れで復古した古神道ではなく、先祖崇拝や自然崇拝(アニミズム)・八百万信仰を特長とし、古代ギリシャの信仰形態と重なる部分も多い原始神道を注視するという印象があります。

随筆『日本の面影』などでは、ハーンの日本贔屓と西洋/キリスト教的価値観に対する批判が色濃く表れる一方、『新編 日本の面影』の訳者である池田さんが「『日本の面影』の中には、おもはゆくなるようなナイーヴな日本賛美があるかと思えば、いささか極端とも思える西洋批判も出てくる。(……)現代の日本人にとっては、ハーンの作品はむしろ日本の良さや伝統を見直すうえで大切な相対的な視点(西洋至上主義からの脱却)を示しているのではないかと考えている」(『新編  日本の面影』302-303頁)と述べるように、ハーンの著作はいずれも現代の日本人が日本をより深く知る(この点が保守思想との親和性でもあります)ための手引き書という性質を強く持っています。

私的体験が中心となる随筆に比べアカデミックな色が強い『神国日本』では、『日本の面影』に見られたような「極端とも思える西洋批判」は、第15章「キリシタンの災厄」以外でかなりトーンを潜め、客観的な視点で日本の分析や西洋との比較が展開されています。

読みやすさという点では、『日本の面影』(松江時代の話しを中心に再編された『新編 日本の面影』がハーンの入門書としては最適です)に比べて難解な部分もありますが、非常に綿密かつ網羅的な日本論といえます。

日本国内における知名度は、ハーン名義の著作としては低い部類に入るほか、端的な尊称でありつつも解釈幅が広いため「多様な波紋」を生じさせうる『神国日本』という邦題の影響もあって手に取ることを躊躇する方もいると思いますが、内容自体は非常に客観的な日本研究となっており、後半の記事では本書の中心的なテーマとなっている宗教を中心に主要部分を取り上げていくので、本書を読むか否かを判断する参考になればと思います。


後半部: ラフカディオ・ハーン『神国日本  解明への一試論』(2)

参考記事・資料

・「概要  ハーンはアメリカでどう読まれたか: 『日本: 一つの解明』を中心に」(水野真理子, 2018, 『ヘルン研究』第3号, 90-95頁,  )富山大学ヘルン(小泉八雲)研究会)

「古本夜話1037  田辺隆次、『小泉八雲全集』、戸川明三訳『神国日本』」(小多光雄, 2020年6月19日, 「出版・読書メモランダム」)

・「ハーンを慕った二人のアメリカ人  ボナー・フェラーズとエリザベス・ビスランド」(小泉八雲記念館)

鈴木 真吾

鈴木 真吾

2023年3月よりインハウスクリエイターとして写真・映像撮影および編集、グラフィックデザイン、DTPなどを担当。専攻は文化社会学、表象文化論等。

ご案内

5バリュースクウェアは、5バリューアセット株式会社(5VA)によるコラムを掲載するサイトです。資産運用や資産形成、経済全般などにご興味がある方に向けて情報発信をしております。

気軽に相談ができる場として、無料個別相談を設けておりますので、以下より詳細をご確認ください。