前半の記事では、『神国日本 解明への一試論』(JAPAN: An Attempt at Interpretation, 1904)の概要や読者層、邦題に関する挿話などを中心に取り上げました。前半でも触れたように、本書はハーバード・スペンサーの宗教進化論をベースにした日本研究の古典であり、保守思想に関連した内容も含んでおり、日本人にとっては過去から引き継がれてきた伝統や文化を客観的な視点で学ぶための手引書でもあります。
本書は欧米圏の読者にとっては、刊行当時(1904)はまだ広く知られていなかった神道の研究書であり、日本人の神仏習合的な宗教観と社会体制の関わりなどを社会科学的に分析した内容で、日本に関する随筆や『怪談』などの説話文学に代表されるハーンの著作とは異なり、学術書に近い内容となっていることが特徴です。
祖先崇拝や自然信仰(アニミズム)を起源とする宗教という観点から日本の精神や文化の変遷を分析する本書は、日本人読者にとっては過去や歴史を省察するための参考書として読むことができます。また、過去に対する「忘恩」(オルテガが『大衆の反逆』で指摘した大衆の特徴)をから脱却するための端緒を開くという点では、バーグの『フランス革命の省察』(1790)から、オルテガの『大衆の反逆』(1929)へと続く保守思想の系譜に連なっているともいえます。
『神国日本』は全22章で上代(飛鳥・奈良時代以前)から近代までの日本を様々な観点から分析するという非常に厚みのある内容なので、後半の記事では本書のメインテーマである宗教について、特に中心となる部分を取り上げながら内容のごく一部を見ていきたいと思います。
宗教的要素から日本の思想を振り返る

外国人が書いた日本論といえば、「罪の文化」の西洋と「恥の文化」の日本という対比構造で知られる、ルース・ヴェネディクトの『菊と刀――日本文化の型』(The Chrysanthemum and the Sword: Patterns of Japanese Culture, 1946)、『私の中の日本軍』(1975) や『空気の研究』(1977)などの著作で知られる山本七平が、ユダヤ人という設定のイザヤ・ベンダサンという筆名を用い、外国人の知人の協力を得て執筆した『日本人とユダヤ人』(1970)、ヴェネディクトのように相対的な観点で日米を比較分析し、日本型経営の特色を論じたエズラ・F.ヴォーゲル『ジャパン・アズ・ナンバーワン』(Japan as Number One: Lesson for America, 1979)などが代表例として取り上げられますが、手に入りにくいだけでなく言及される時代も古いためか、日本論・日本研究の文脈でハーンの『神国日本』が取り上げられることは少ないように思えます。
『菊と刀』の翻訳は1948年に社会思想研究会出版部から長谷川松治訳(現: 講談社学術文庫版)が最初のもので、現代においても2008年に角田安正訳の文庫版が光文社から、2013年に越智敏行・越智道雄訳が平凡社から刊行されるなど、日本論の代表作として読み継がれています。その一方、『神国日本』は『菊と刀』の影に隠れる形で、日本論としての国内における知名度は高くありませんが、平凡社版『神国日本』の訳者である英文学者の柏倉俊三さんは本書について次のように述べられます。
われわれの過去に思いを致させるばかりではなく、自己省察のいろいろの資料と機会を与えてくれるに違いない。/戦後日本人に、新しい分野をひらいてくれた文化人類学の立場から書かれた日本人研究書として評判の高い『菊と刀』をわれわれはもっている。もしそれを評価するあまり、『神国日本』をおとしめ、実際にはろくに読みもしないで、文学者の主観的な古い日本観で、もう用が終わったとするのは、うつり気のあさましさを示すものであろう。あとの光必ずしも先の光をしのぐとは限らない。 ただいえることは、光は一つ二つのほうがよけいよいということである。
(453頁)
本書の冒頭では「日本人自身の間でさえ、自国の歴史についての科学的な知識をもっていない始末である」(3頁)や、「われわれの場合を考えてみよう。イギリス、フランス、ドイツ、イタリアなど、どの国の文学にしろ、西欧における古代および近代の宗教に関する知識をみじんも持たずにはとても十分な理解は覚束ないのである」(5頁)というような苦言が呈されており、その指摘は現代においても痛烈に響きます。
宗教的な儀礼・慣例と深い結び付きがありつつも、その結びつきを意識せずに受容している年中行事(初詣、お盆)や人生儀礼(お宮参り、七五三)、「神」や「仏」にまつわる様々な日本語の慣用句、冠婚葬祭にまつわる宗教由来の要素、日常の風景として溶け込んでいる神社や仏閣、道祖神や地域のシンボル的なモニュメント、菅原道真(天満宮)や徳川家康(東照宮)のように歴史上の人物を神として祀って御利益を願う習慣など、身の回りには昔から受け継がれてきた神仏習合の習慣が溢れています。
複数の宗教が曖昧に混ざり合う状態が生じているのは何故か、その源流は何か、ということを考えようとする際に、「日本人自身の間でさえ、自国の歴史についての科学的な知識をもっていない」(3頁)というハーンの指摘が再度思い出されます。
今もなお日本文化に色濃く影響を残す宗教的要素を、ハーンの主要な業績である民間伝承の収集とは異なる社会科学的な観点から学び、日本の文化や精神性を改めて理解することが、古典である本書を現代に改めて読む意義といえるでしょう。
祖先崇拝と宗教の段階的発展
細かくトピックが分かれた本書では、前半部(第3章~第9章)ではハーバート・スペンサーの宗教発達の法則(宗教進化論)をベースに、宗教全般の共通起源にあたる祖先崇拝(精霊崇拝)が段階的に進化・拡大していく過程が丹念に論じられていきます。非常に分析的な内容なので若干の読みにくさはあると思いますが、日本の宗教観の基盤となる部分を理解するうえでは繰り返し読んでみることをお薦めします。
ハーンは仏教の影響下にない、純粋に日本起源の祖先崇拝(後代に中国の影響により多少の変化を含む)には三つの祭祀形式があり、その総称が「神道」であるとして、次のように記します。
その「神道」とは、「神々の道」という意味なのである。それはそう古い言葉ではない。それははじめ、国教すなわち「道」を「仏道」と呼ばれた仏教という外来の宗教すなわち「仏陀の道」と区別するためにのみ採用されたものであった。祖先崇拝の神道の三つの形式は、家庭の祭祀、地域社会の祭祀及び国家の祭祀である。――換言すれば、家族の祖先礼拝、氏族あるいは部族の祖先礼拝及び皇室の祖先礼拝である。
(19頁)
ハーンによれば日本における祖先崇拝の神道の三形式は、まず家族の祖先礼拝(家の宗教)から起こり、氏族・部族の祖先礼拝( 氏神の宗教)、国家的宗教という段階で進化してきたとされます。家族の概念も現代とは異なる巨大なもので、古代ギリシャの氏族(ゲノス)、ローマの氏族(ジェンズ)あるいは族長的(patriarchal)家族であるとされます。
発展の初期である家の宗教は、第4章での記述から考えるにおおむね旧石器時代~縄文時代が想定されています。その後、儀式や祭礼の変化を経て、神棚のような「御霊家」や仏壇などに死者を弔う「家庭(ドメスティック)の祭祀の諸形式」となり、地域、国家の宗教へとその規模を拡大していきます。
本書は海外読者に日本を解説する内容であるため、「家庭の祭祀」に関する記述、特に神道に関連した部分は非常に緻密な解説が記されており、これは当時の外国では神道に関する情報が少なかったことに起因すると考えられ、日本人であれば習慣的に理解している一方で欧米人から見れば不思議・不可解と思う感覚や意識について、科学的かつ合理的な説明・分析が量を伴って記されています。
神道に関する綿密な解説は、日本人が当たり前のように受容している日常の諸要素(先祖供養、神仏習合、自然崇拝)など、「なんとなく理解している」「腑に落ちる」物事について説明的に考えることが少ない物事について言語化されたケースでもあります。詳細な説明はやや回りくどいものでもあり、難解なものであるとも感じるかもしれませんが、日本の宗教観の成り立ちを外部の視点から学ぶうえでは非常に参考になると思われます。
神道では死者が神的存在(霊として存在)し祈願や礼拝を受ける一方、仏教においては「仏陀(ほとけ)」とされ、この世より高度な状態に向かう途上であるとされます。仏陀は神道のような礼拝は受けないものの、「日本の仏信徒はその大多数が、同時にまた神道の村法者でもある。そこでこの2つの信仰は外見上矛盾しているようではあるが、一般人の心の中では長いあいだ調和してきたのである」(41頁)と述べられます。これは日本に伝来した仏教が各地での布教を経てローカライズが容易なものになっていたこと、さらには象徴的な意匠(地獄・極楽図や凝った内装や意匠を持つ建築物など)が神仏習合以前の神道には少なかったことなども、本書では指摘されます。
仏教からの影響と基盤としての神道
日本は神仏習合的な宗教観が特長とされていますが、受容・習合された仏教は多数の宗派を生み出すだけでなく、日本に合わせて翻案された箇所も多くあり、「仏教本来の教義は、本質的には神道と相容れないものではあったけれども、仏教はそれまでにインド、中国、朝鮮またその他いろいろの近隣諸国で、頑強な祖先崇拝を捧持している国民の精神的欲求への対応策をすでに会得していたのであった」(153頁)と分析されます。
日本に合わせたグローカライズを通じて仏教が国内に定着した一方、イエズス会やフランシスコ会が布教を試みたキリスト教は、その不寛容さや政治体制への揺さぶり、一揆などの実力行使によって体制側から脅威と見なされ排除されたという対照的な関係は、仏教が長らく覇権を握りつつも、仏僧/僧兵が抵抗や反乱を起こしてきたという過去を持つ日本の宗教受容のありかたは、時代毎の政治体制と強い関連性を持ってきたことへの着目を促します。
儒教は仏教よりも以前に伝来し、宗教というよりも忠孝を基にした道徳観として定着したとされ、552年頃に伝来した仏教が覇権を握るのは9世紀頃とされています。ハーンは、質素な神道に比べ、仏教は建築や仏像、地獄極楽を説明する絵といった芸術や装飾性に長けるほか、精霊船や盆踊りなどの習慣を広めるほか、一般庶民への教育機会を広げたことなどを指摘し、次のように記します。
単に宗教教育というだけでなく、芸術や中国の学問における教育を授けたのである。やがてその結果寺院はみんなの学校となったり、寺院に付属した学校ができたりした。そして各教区のお寺では、その村の子供たちが名目ばかりの費用で、信仰の教義、中国古典の知恵、書道、絵画、その他いろいろと多くのことを教わった。こうして次第に、ほとんどの国民教育は、仏僧の支配下におさめられるようになった。
(168-169頁)
仏教は古い神道が生み出したものよりももっと大きな希望と恐怖を与えたその能力によって、権力を強化し、服従の精神を養育した。また教師としては、雲上の高貴より草莽の微賤に亙って、この日本で、芸術という名のもとで、分類されるものはことごとく仏教が移入したかあるいは発達を促したものなのである。(……)仏教は、戯曲、詩文の高度ないろいろの形式のもの、小説、歴史、哲学などを導入している。日本人の生活の洗練された高雅なものは、仏者の導入にかかるものである。
(169-170頁)
日本の諸芸術の形式に仏教が多大な影響を及ぼしているという指摘は、これまで意識することが少なかった点であり、神道美術として紹介される垂迹画(神道の神々に姿を変えた仏を描いた絵画)や、狛犬や灯篭に代表される神社の装飾も仏教からの影響を受けていることを知る契機にもなりました。
一見すると調和が保たれていたように見える2つの宗教ですが、空海(弘法大師)によって案出され、神仏習合が説かれた「両部神道」も真の融和には至らず「古代の祖先崇拝の異常な保守性――融和妥協拒否の固有の力――がどんなものかは、1871年における仏教排除に際して、この二宗教が唯唯諾諾とあっさり分離したかはわかろうというもの」(154頁)と、ハーンは指摘します。
現代では融和や分離といった過去が省察されることは少ない一方、神社や寺のほか各宗教の儀礼や慣習なども、昔から当たり前のようにある日常的なもの、いわば生活に根差した伝統であり、日本人の宗教観は無宗教という認識や、神道・仏教・儒教・道教・キリスト教のハイブリッドとして、ただ漠然と受容されているケースが多くあります。その緩やかさの根源には、初期段階では簡素な形式であった祖先崇拝やアニミズムなどが中心にあったため、他の要素を受け入れやすい神道の価値観および神道を軸にして形作られてきた日本の文化的な伝統があると考えられます。
加えて、日本的な八百万信仰とアニミズムの関連についても興味深い指摘があり、ハーンは日本では万物に霊があるというアニミズム(物活論)的信仰と神道の形式との間を区別する線を引くことが難しく、『古事記』の記述などをみると中国の影響を受ける以前から広く一般にアニミズムや諸物崇拝な考えが広まっているという点を確認したうえで、次のように述べます。
この物活論が永続的な崇拝(形の珍しい石とか樹木などを珍重するような)と結びついている場合には、その崇拝の形が大抵神道であるということは、意義のあることである。そのような奇石珍木の前には、神道の門の形――「鳥居」が見られるのが普通である。中国や朝鮮の影響を受けながらも、物活論の発達するにつれて、むかしの日本人は心霊(スピリット)と鬼神(デモン)の世界のなかに自らを見出したのである。そして永遠に動くことのない巌――いや、それどころか路傍の石もが――が、正体不明な何か畏怖すべきものであるような感じを与えるのである。
(112頁)
日本人は超常的な心霊と鬼神の世界に自己を見出すという指摘は、世界から独立したものと考える西洋的な「主体」観とは異なるもので、神的存在が統御する世界の一部に自己を位置付けるというハーンの分析を読んで思い浮かんだのは、天命思想を根幹に持ち「敬天愛人」という座右の銘を残したことでも知られる西郷隆盛でした。
自然に対する崇拝に関連しては、大洗の上磯(下図左)、桜井二見ヶ原の夫婦岩、天安河原の神明鳥居(天岩戸神社)、富士山の遥拝所(下右図)など、日本各地の景勝地には鳥居が設置されている場所が多くあります。なぜそのような場所に鳥居があるのかを考えると、圧倒するような崇高や畏怖を感じさせる自然に神的存在を見出すという日本人の宗教感に拠るもの、言い換えれば日本の伝統的な部分という理解ができます。
もう一点、日本の八百万信仰がよく表れているものとして、『神国日本』では言及されていませんが、「禁足地」があげられます。禁足地は歴史的・宗教的な聖地や、単純に安全面から立ち入りが制限・禁止された場所で、代表的なものとしては八幡の藪知らず(千葉県)、三輪山(奈良県)、沖ノ島(福岡県)などがあり大洗の「神磯の鳥居」周辺も禁足地になっており、安全のための立ち入り制限に加えて、神(大己責命 オオナムチノミコト/ 少彦名命 スクナヒコミコト)が降り立ったとされる神聖な場所であることが立ち入り制限に理由として掲げられており(図参照)、自然に対する畏敬と日本神話の神々に対する崇拝・信仰が併存しており、日本の「神国」としての側面を改めて意識させられます。


日本研究の古典から何を学ぶか
本書は上代時代から近代(日露戦争頃まで)という非常に広範な時代を扱うため、ページ数も多く読破するにも少々骨が折れる本ではありますがが、連続講演の原稿が基にされているので、各章をかいつまんで再読する際にも読みやすい構成となっています。
各章を個別に読む前に、まずは日本の通史や本書の核となる祖先崇拝を起点とする宗教の三つの発展形式という論点、上代で覇権を取った氏族の神話や信仰形態が日本の「記紀神話」としての地位を得たことや、初期段階では鳥居や祭祀遺跡など質素な要素が多かった神道が仏教芸術の影響を受けることによって、神々や神話を図像や立体として表現するようになりつつも、近代になると神仏習合があっさり分離していったという変遷を押さえる必要があると思われます。
本記事では宗教に関する主要部分を取り上げ、保守思想との類似性などについても触れてきましたが、それらは非常に幅広いトピックが扱われる『神国日本』のごく一部であり、主軸である宗教以外に各時代の社会構造や文化なども、高密度な分析が展開されています。
本書は厚みのある内容であるため、通読するには根気を要しますが、非常に示唆に富む内容で包括的な日本論としても高い完成度を誇る古典といえます。また。現代の観点から読むと保守思想との類似点も多く、冒頭の「日本人自身の間でさえ、自国の歴史についての科学的な知識をもっていない始末である」(3頁)という耳に痛い指摘を念頭に置きながら本書を読もことで、日本の伝統や慣習という「過去」から何が学べるかを考える機会を与えてくれます。
日本論の古典というよりも、ハーンの著作という点から本書に興味を抱く方は少なくないほか、戸川訳に倣った邦題でやや敬遠してしまう方もいると思いますが、平凡社版の訳者である柏倉さんが「読んでみればわかる」と記すように、様々な先入観に捉われずにまず手にとってみることをお勧めします。
彼の扱った題材と表現方法(引用者註: 民間伝承を収集し文学作品への再構築)から、われわれには『ハーンを旧日本美への心酔者としてうけとり、その側面だけから』見る傾向がある。それは彼の文学的特質から、免れがたい運命なのかもしれない。しかし、この最後の彼の決算書には、彼のもっている別の面が鮮やかにでている。この『神国日本』は、主観的な感情的な独断の多い文学者の日本文化論などと片づけるわけにはいかない。読んでみればわかることだからである。
(452頁)
参考記事・サイト
・「ハーンを慕った二人のアメリカ人 ボナー・フェラーズとエリザベス・ビスランド」(小泉八雲記念館)
・「古本夜話1037 田辺隆次、『小泉八雲全集』、戸川明三訳『神国日本』」(小多光雄, 2020年6月19日, 「出版・読書メモランダム」)
・「『神国日本』」(深山あかね, 2015年2月23日, 「山姥珍道中記」)
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