
造語のため広く知られた言葉ではありませんが、「きずな貯金」という用語があります。きずな貯金は、経済学をバックボーンに持ち、人文科学的な観点を持つ医師(理系)として活動されている森田洋之さんによる造語であり、医療用語の「ソーシャルキャピタル」を置き換えたものでもあります。
人文系の出身者、とりわけ社会科学に親しんだ方にとっては、ソーシャルキャピタルあるいは「社会関係資本」という言葉でも大枠の意味は伝わると思いますが、「きずな貯金」という言葉のほうがより広い層にわかりやすさを伝え、親しみ・愛着(エンゲージメント)を高める効果があるように感じます。
社会科学領域におけるソーシャルキャピタルは教育論やコミュニティ論に高い親和性を持つ分析枠組みとして20世紀初頭から使用され、2000年頃にはアメリカの政治学者ロバート・パットナムの研究によって注目を集めるようになりました。パットナムはソーシャルキャピタルの概念を事例分析に援用し、『哲学する民主主義: 伝統と改革の市民構造』(Making Democracy Work, 1993 / 邦訳2001)では南北イタリア地方政府のパフォーマンスの違いやソーシャルキャピタルによるポジティブな効果を、『孤独なボウリング: 米国コミュニティの崩壊と再生』(Bowling Alone, 2000 / 邦訳2006 )ではアメリカを例にソーシャルキャピタルの衰退やコミュニティの希薄化・衰退などを、それぞれ分析しました。
国内でもソーシャルキャピタルの活用に関心が集まっており、内閣府の資料では「『社会的な繋がり(ネットワーク)とそこから生まれる規範・信頼』であり、共通の目的に向けて効果的に協調行動へと導く社会組織の特徴」(「ソーシャルキャピタル (Social Capital)」1頁, 内閣府NPOホームページ公開資料)と定義されます。そのほかにも厚生労働省が関連資料をまとめたページを公開するほか、2015年7月付けで「地域保険におけるソーシャルキャピタルの活用等について」という自治体宛事務連絡を制作するなど、地域における繋がりの促進に注目が集まっていたことが窺えます。
ソーシャルキャピタルの検索結果の上位を見るだけでも、地域コミュティに限らず様々な領域・組織などでも注目を集めていたようですが、コロナ禍における感染対策(ソーシャルディスタンス、緊急事態宣言等)でソーシャルキャピタルへの関心の広まりが停滞したためか、近年ではあまり聞き馴染みのない言葉であるという印象もあります。その一方で、「【ソーシャルキャピタルとは】人々の関係性や繋がりは組織の重要資源」(打刻ファースト, 2019年12月13日 ) や「ソーシャルキャピタル(社会関係資本)とは?ビジネスにおけるその意義と取り組み事例」( PASONA BIZ, 2024年2月6日) のように、ビジネス用語としてのソーシャルキャピタルの使用例を紹介するweb記事も見受けられます。
[参考資料]
上田和勇「現代企業経営におけるソーシャル・キャピタルの重要性」(『社会関係資本研究論集』, 第1号, 2010 , 専修大学社会関係資本研究センター)。
入山彰栄「経済学におけるソーシャルキャピタル理論とは」(Harbard Business Review, 2024年5月17日)。
「きずな貯金」とは
ソーシャルキャピタルがコミュニティ論や組織運営などを包括的に扱う一方、「きずな貯金」はミクロな視座あるいは地域社会コミュニティに焦点を合わせており、『孤独なボウリング』で扱われている事例と重なる部分も多くあると思います。
「きずな貯金」は『破綻からの奇蹟: ~いま夕張市民から学ぶこと~』(2015, 南日本ヘルスリサーチラボ)、『うらやましい孤独死』(フォレスト出版, 2021)、『人は家畜になっても生き残る道を選ぶのか?』(2022, 南日本ヘルスリサーチラボ)といった森田さんの著作に繰り返し登場する言葉です。そのほかにも、超高齢化やケアに関連する文脈で「ソーシャルキャピタルとしての地域のケアコミュニティ : 「きずな貯金」につながる地域内のケアと見守り体制」(『都市計画』330号, 2018, 都市計画学会)という対談記事にも登場します。
直近では雑誌『表現者クライテリオン』での森田さんの連載「『過剰医療』の構造と『適正な医療』の形」の第2回、「きずな貯金とSocial Capital」(2024年11月号)で取り上げられており、『クライテリオン』での連載経由で、「きずな貯金」という言葉を知った方は少なくないと思います。
大まかにいえば地域社会における人と人との交流(人間交際)や相互扶助(利他)的な関係性、つながりの継続などが、きずな貯金に相当し、森田さんは次のようにも「きずな貯金」を定義します。
「きずな貯金」とは、いわゆる地域社会の繋がりの強さ(医療用語ではSocial Capitalと言う)のこと。つまり、地域社会の中で人々が互いに信頼しあい、繋がりを強め、良好な関係を基にしたコミュニティーを形成する、それこそが人々の心身の健康上の土台になる、という概念である。/この概念はアドラー心理学の中心的な概念と言われる」「共同体感覚」に近いだろう。アドラーは「家庭や地域などの共同体の中で人と繋がっているんだ、という感覚。人間はこの共同体感覚を感じられるときに幸福を感じるという。」 (『クライテリオン』, 2024年11月号, 128頁)
「きずな貯金」に類する取り組みは、日本や世界でも行われており、フランスから始まりヨーロッパ29ヵ国まで広まった「隣人祭り」(アタナーズ・ペリファン、南谷桂子『隣人祭り』, 木楽舎, 2008などを参照)はその代表格です。国内では、隣人祭りにヒントを得て渋谷区区民部地域振興課が運営事務局を兼任する街づくりイベント「渋谷おとなりサンデー」が実施されています。コロナ禍における感染対策やソーシャルディスタンスで、各地の隣人祭りは中止やリモート開催となったそうですが、現在は対面で開催されており2024年は6月2日開催されました。
「つながり」の希薄化や社会的孤立が健康や寿命に悪影響を及ぼす可能性については国内外の調査研究で指摘されており(『人は家畜になっても生き残る道を選ぶのか?』,Kindle版94-98頁)、森田さんはコロナ禍における日本での自殺率の上昇は、感染対策によって「孤独」や「社会的孤立」が助長されたことに起因すると指摘する一方、地域住民の取り組みで自殺率の上昇要因を解消することによって、生活や健康がより良いものになっていくという事例(主に高齢者地域)も多く見られます。その代表的な事例は夕張市で、森田さんは同市の高齢者医療の現場や移住後の生活体験を通じて、「きずな貯金」という概念を見出しました。
参考資料
「『隣人祭り』で都市に人々の絆を取り戻す」(NHK地域づくりアーカイブス)
「『隣人祭り』で仲間を作ろう!」(日本経済新聞, 2016年6月21日)
夕張市の事例
主産業だった炭鉱の閉山による人口と税収入の減少、主産業の切り替えを目指した観光施設の整備や新興への過剰な投資、不適切な財務処理など、複合的な要因が重なって2007年に財政破綻した夕張市は、2015年のデータでは47%を高齢者が占める日本一の高齢化地域です。財政破綻によって、171床の唯一の市立総合病院は19床の診療所(建物は同様)となり、医療崩壊が懸念されていました。しかし、死亡数(率)をみると破綻前と変わりはなく、死因も心疾患や肺炎が減少して老衰が大きな割合を占めるようになったほか、救急車の出勤回数が減り、医療費も減少したそうです(医療現場からみた夕張の詳細については『うらやましい孤独死』を参照)。
亡くなる場所も(そもそも病床が激減しているため)病院ではなく自宅や介護施設が中心になり、病院関係者ではなく家族や近隣の人に最後を看取られることも増えていきました。
そのような変化について、森田さんは財政破綻・病床激減という不可避の外的圧力が夕張市民の死生観を変えたことに起因すると指摘し、連載第2回で夕張時代の森田さんが師事していた村上智彦さんの『村上スキーム―地域医療再生の方程式 夕張/医療/教育―』(2010, エイチエス)を紹介されます(村上スキームついては、連載第1回、第2回で軽く紹介されます)。
北海道の僻地である瀬棚町の医療を立て直した実績を持つ村上さんは、夕張市からの要請で夕張医療の立て直しを指揮し、「在宅医療」「在宅介護・看護」を導入し、「急性医療」から「高齢者の生活に寄り添う在宅医療」への転換)を目指しました。
森田さんは、超高齢者への入院や延命治療などの〈医療的な正解〉ではなく、生活に寄り添った在宅医療(患者にとっての幸福の尊重)といった夕張の事例が安定的な成功を収めた要因として
- 天命を受け入れる市民の意識
- 高齢者の生活を支える医療・介護の構築
- 高齢者の生活を支える「きずな貯金」
といった要素を指摘し(『うらやましい孤独死』,Kindle版533頁)、地域の人たちが支え合う良好な人間関係を「きずな貯金」と呼び、それが健康や長寿に関わっていると指摘します。
きずな貯金の例として紹介されるのは夕張市のほか、宮崎や鹿児島といった地方における高齢者と地域コミュニティの結びつきです。また、『うらやましい孤独死では』、「高齢者見守りネットワーク・みま~も」(東京都大田区)のように、民間と行政の協働による地域包括支援や横のつながりの形成、「きずな貯金」を促進させる(地域包括ケアシステム)各地の取り組みも紹介されています。
「利他」の連鎖と「きずな貯金」
コロナ禍の感染対策によって孤独感が強まり、きずな貯金の形成が困難な時期がありました。その一方、コロナ禍においてはエッセンシャルワーカーへの感謝を示すような動きが強まったほか、廃棄される衣服、染料による環境汚染、開発途上国の縫製工場における低賃金での労働などを背景に若者の間でも利他主義への関心が高まりを見せ、「利他」がある種のブームと呼べるような状況になっていました(伊藤亜紗 編『利他とは何か』,集英社, 2021)。
地域住民間での交流や相互扶助を基盤とする「きずな貯金」は「利他」という言葉が広まる以前から「利他」の連鎖(あるいは相互的な「贈与」関係)に支えられており、他者への感謝や気遣い、活発なコミュニケーションも「きずな貯金」の重要な土台となります。
森田さんが取り上げる例は地方・田舎での事例が主であるため、都会で「きずな貯金」を貯めるのは難しいと思われがちですが、『破綻からの奇蹟』では、80歳でアパートに引っ越してきた高齢者が、雪かきへの参加や町内会長を勤めるといった地域社会への参加を通じて地域の絆を貯めてきたという事例が紹介され、森田さんは次のように記します。
田舎だからできる、とか都会だから出来ない、とか、そういうことではないかな、と思いますね。やる気と環境が整えば、どこでも出来ることだと思います。そういう意味では、雪国には、『雪かき』という共通言語・共有体験があるので、それもいいかもしれないですね。 (『破綻からの奇蹟』, 256頁)
「きずな貯金」は、地域やコミユニティに根差した住民同士の絆や連帯感、相互扶助、信頼関係や、その場所への愛着などから構築されたもので、地域を離れてしまうと貯めた預金もゼロになってしまいます。それゆえ、財政破綻・医療縮小の後も、多くの市民が夕張市に残り続けたそうです。
「ソーシャルキャピタル」が地域活性化だけでなく、組織・企業運営やビジネスにもポジティブ/ネガティブな作用をもたらすことはバットナムの研究で指摘されていますが、「きずな(貯金)」という考え方をビジネスにあてはめて考えてみると、より局所的あるいは身近な目線で、コミュニケーションや関係性の積み重ねが様々な影響をもたらすということが再確認できるでしょう。
「きずな」とビジネス
「きずな」(英語では”bond”であり、余談ですが債券も同じく”bond”です)をビジネスに結び付けて考える際、地域やコミュニティのような場・空間としての組織との「きずな」や、組織の構成員の同士の「きずな」、そして顧客との「きずな」などが挙げられます。
組織との「きずな」は冒頭で述べたようにエンゲージメント(愛着)の増大を促し、愛社精神や所属する、あるいは出身の組織に対する誇りへと繋がります。弊社の例でいえば、代表取締役の斉藤彰一をはじめ、多くのメンバーがメリルリンチ日本証券 /メリルリンチPB証券の出身者で構成されており、メリルリンチからビジネススタイルや精神性、企業文化(コーポレート・ガバナンス)などを広く継承するなど、メリルとの強い「きずな」に支えられています。また、証券・金融業界は高い人材流動性を特長としていることもあり、弊社では今のところ、メンバーの伝手に基づくリファラル採用が多くなっています。そのため、新しいメンバーがジョインする段階ですでに複数人との「きずな」が形成された知己の仲にあるというケースも多くあります。
メンバー同士の「きずな」は弊社の理念である「5バリュー」の1つチームワーク」の基盤を成すものであり、強固な「チームワーク」の形成には、おなじく「5バリュー」に含まれる「誠実さ」や「個人の尊重」が必要とされ、「5バリュー」の実践においても「きずな」が重要なキーワードとなると考えられます。
「きずな貯金」という概念は、ファイナンシャルアドバイザー(FA)と顧客の間における信頼関係が重要となるウェルスマネジメントと高い親和性があるとも考えられ、改めてウェルスマネジメントの特徴や、どういった観点で「きずな」が重要となるかをまとめていきたいと思います。
ウェルスマネジメントと「きずな貯金」
弊社が理想とする米国流のウェルスマネジメント(富裕層を対象とした資産管理サービス)は、FAと顧客が長期間、あるいは子供・孫世代に渡るまでの超長期スパンでのサービス提供が念頭に置かれており、まず第一にFAと顧客の間に強い信頼関係がなければ成り立ちません。
米国ではウェルスマネジメントに従事するFAの地位が医者や弁護士と同様に高く、次世代に継承されうる一生の仕事としての職業観を持ち、信頼や尊敬を集める職業として支持されています。一方、国内の場合は多くのFAが金融機関の所属で、2-3年程度で転勤となってしまうため、顧客との継続的なリレーションシップの構築が難しいと言われています。
FAと顧客は、いうなれば「きずな貯金」の継続を通じて深い信頼関係を構築するのですが、貯めてきた「きずな」は転勤によって御破算されてしまいます。転勤(引っ越し)によって預金がゼロになってしまうという点では夕張における「きずな貯金」も同様ですが、夕張市民とは異なり金融機関所属のFAは、転勤を拒否できないため「きずな貯金」の継続が叶わず、顧客本位(クライアントフォーカス)のサービスを継続的に提供することが極めて難しいという構造があります。
一方、金融機関ではなく独立した法人組織に所属するIFA(Independent Financial Advisor)では転勤や部署移動がなく、「きずな貯金」を長期的に継続できるという強みがあります。そのほかにも、営業ノルマ等がないため顧客に寄り添った提案が可能なほか、各FAが独自の営業スタイルや投資・運用哲学を持ってアドバイスを行えるといったメリットがあり、米国流のウェルスマネジメントを国内で実践する際にはIFAに分があります。
とはいえIFAにもデメリットがあります。まず、会社規模が小さいがゆえに広範囲な領域における知名度の獲得が困難で、大手証券会社や金融機関のウェルスマネジメント部門に比べると情報発信や影響力に劣ってしまいます。次に、国内のIFA事業の大半はネット証券での取引のため、富裕層や法人顧客に合わせた独自対応に不向きという点もあげられます。そしてもうひとつのデメリットは、IFAの質が玉石混交で、どのIFA法人や所属IFAが自身の資産運用や人生設計に合致しているのか(長期・短期に希望やリスクの許容度、ゴール設定、税関連や相続の相談など)がわかり辛いという点です。
3点目については、浪川攻さんの『証券会社がなくなる日 IFAが「株式投資」を変える』(2020, 講談社)でも、業界の新たな旗手と期待されるIFA法人の中には既存のビジネススタイルの焼き直しや、経営理念が定まっていないものも少なくないと指摘されています。
「きずな」と「贈与」
これまで見てきたように、「きずな」は人と人との関係性を土台として形成され、貯蓄されていくものですが、関係性を構築するきっかけのひとつとして「与えること(ギブ)」があります。「与えること」は「贈与」とも言いかえられますし、「利他」とも非常に近しいもので、特定の物品を贈ることに限らず、知識の教授や機会の提供、相手の利に寄与する結果となる日常的で何気ない行動も含まれます。
与えられる(被贈与)側は返礼の義務(ポジティブな負債)を感じ、何かしらの返礼で応答することで、最初に「贈与」を行った側も返礼として再度「贈与」を行うという循環が生じます。繰り返し強調したいのは、「贈与」も「返礼」も、物品を贈るということに限らず幅広い物事や、なにかしらの行為も含まれているという点です。
近内雄太さんは『世界は贈与でできている』(ニューズピックス, 2020)において、「贈与」は行う/与える側ではなく受け取る/被贈与側に着目し、「被贈与の気付き」によって、受け取ったことに対するポジティブな負債感に基づく返礼としての「贈与」が続く(『世界は贈与でできている』、41頁)ことを指摘するように、「贈与」は関係性のサイクルが長く続いていくことが重要という点で「きずな」と近しい特徴を備えています。また、『世界は贈与でできている』でも触れられていますが、短期的・瞬間的に関係性が解消される等価交換(例としてコンビニのレジなど)とは異なり、繰り返しや継続性、そして不等価交換なども「贈与」の特徴としてあげられます。
「贈与」をきっかけとして生じるサイクルを意識することや、「被贈与」への気付きも「きずな」にとっては重要な点であり、「被贈与」に対する感謝によって「きずな」が現前化あるいは起動するといえますし、「贈与」―「被贈与」の循環を繰り返すことで「きずな貯金」も増えていきます。
「ギブ」についてはアダム・グラント『GIVE & TAKE「与える人」こそ成功する時代』(楠木健 訳, 三笠書房, 2014)で詳しく論じられており、グラントは「ギバー(与える人)」「テイカー(受け取る人)」「マッチャー(与える・受け取るのバランスを考える人)」という三類型を設定した統計を通じて、「ギバー」(より詳しくいえば「自己犠牲型のギバー」ではなく「他者志向ギバー」)が最も成功するという結果を提示しました。
「ギブ」は見返りを期待することなく、「利他」的に与える行為であれば「贈与」に類似したものになりますが、対価や見返りを期待して行う「ギブ」は等価交換、マッチャーとしての「ギブ」であり、思いがけず行ってしまう自発的な行為としての「贈与」「ギブ」とは異なります。夕張のケースでは、村上さんによる在宅医療・看護への転換という方針が、地域コミュニティの活性化、地域の方との濃密な交流、そして「きずな貯金」へと繋がっていくことで、非常にポジティブな効果をもたらしました。また、森田さん一家が夕張に引っ越してきた際に、地域に馴染めるようにと、近隣の人が積極的に行ってくれた支援や気遣いはまさに「贈与」であり、「利他」でもあります。
中島岳志さんは『思いがけず利他』(2021, ミシマ社)において、「利他」の自制は過去に属し、「利他」を受け取った人がそれに気づいた際、与えられたものに対して感謝を抱くことで起動すると指摘しており、それは「被贈与の気づき」によって「きずな」が現前するという構造にもよく似ています。
「贈与」、「利他」、「きずな」は、一見すると異なる概念にもみえますが、いずれも重なる部分があります。これまでにも、精神性に関る「贈与」と「利他」という概念は、ビジネスにおいてどのように援用できるかということを考えてきましたが、先の2つに「きずな(貯金)」加えてみると、「贈与」と「利他」を包括するような概念として、「きずな」が位置付けられるようにも思えます。 ビジネスやプライベートを問わず、無意識に行っている日々の慣習や振る舞いの中には、「贈与」「利他」「きずな」に関わるものが多く含まれており、それを意識しながら研鑽を積むことで、徳や「『貴族』の精神」(オルテガ『大衆の反逆』に登場する用語で、「大衆」的なものと対置される心のあり方)を保持できるかもしれません。
参考資料
「利他の構造(1)」