5バリューアセット株式会社は、日本のIFA(金融商品仲介事業者)を変えたいとの理想の下に、代表斉藤彰一が立ち上げた企業です。
当社ではお客様と社会に役立つ存在を目指し、経営哲学・理念の共有や、精神性の修養に努めるべく、外部講師をお招きしての社内勉強会を定期的に催しております。
以下では、当社が開催した社内勉強会についてご紹介させて頂きます。
お金で買えない関係性
前半ではオルテガ『大衆の反逆』の復習と保守思想について。中盤ではフロム『愛するということ』とスピノザ『エチカ』を中心に展開されてきた講演の後半部では、観念的な議論ではなく具体的な事例に則した現在的・実践的な贈与(あるいは「愛」)によって形成される関係性の実例が、幾つかの文献を基にして紹介されます。
「愛」は与える作法、すなわち贈与であることを前回で確認しました。贈与は見返りや反応がくることを見越して与える行為ではないという点は、交換と贈与を区別する特に重要な点でもあります。
最初に紹介される文献は、近内悠太(教育者・哲学者)『世界は贈与でできている――資本主義の「すきま」を埋める倫理学』(2020, NewsPicsパブリッシング)です。同書は第29回山本七平賞・奨励賞、紀伊国屋じんぶん大賞2021(紀伊国屋書店 主催) 第5位、読者が選ぶビジネス書くグランプリ2021(グロービス経営大学院+filer 主催)リベラルアーツ部門4位入賞のほか、2021-2022年度の大学入試問題にも採用されるなど、哲学的な議論を取り上げながら、非常に幅広い層に受容されています。
贈与と(等価)交換の違いを示す顕著な例として、市場での「さっぱりした」交換は1ターンで終わる(すぐに完結する)ものであり、対価を払ってくれるという「信用」があるがゆえに誰とでも交換が可能だが、そこには「信頼」は存在せず、返礼という他者との繋がりに派生することはないからこそ、市場経済の「すきま」に贈与がある、というよりはその「すきま」こそが贈与であると近内氏は分析します。
誰とでも可能な市場的交換の好例として、コンビニエンスストアでの買い物があります。近内氏も同様の例をあげていますが、浜崎先生は8歳の息子さんが1000円を持っていけばコンビニで買い物ができ、年長の店員が子供に対しても敬語で接客してくれるという日常的なケース紹介し、交換相手は誰でも良いということが明らかなので、私たちはそこに交換可能性に満ちた関係性しか感じることができないと言います。
市場経済的な交換のおいては、代替可能・文脈に依拠しないインスタントあるいはドライな関係性を即時に構築できますが、贈与をきっかけに時間をかけて構築される関係性の例として、独特な運営方針で人気を集めるカフェが取り上げられます。
特定多数との不等価交換
次に紹介されるのは、影山知明氏の『ゆっくり、いそげ カフェからはじめる人を手段化しない経済』(2015, 大和書房)です。
影山氏はマッキンゼー&カンパニーの出身で、JR中央線の西国分寺駅にクルミドコーヒー(「食べログ」カフェ部門全国一位を獲得)をオープンしたのを皮切りに、姉妹店の胡桃堂喫店経営や出版事業を手掛ており、その運営哲学においては贈与/「ギブ」に基づく関係性が非常に重視されています。
参考記事: 影山知明氏インタビュー
「等価」交換ではなく、「不等価」な交換(=贈与)だからこそ、多くを受け取ったと感じる側(双方がそう感じる場合もある)が負債感を抱き、それを解消すべく返礼行為への動機付けに繋がっていきます。そういった、お客さん側の「健全な負債感」の集積が「看板」の価値になると影山氏は述べます。
多くの価値を提供するためには、どの場所でも購入しても確実な安定感がある(画一・均質化された商品の提供)ではなく、特別かつ複雑な付加価値を商品のみならずサービスや店舗空間にも付与することが、手段のひとつとして考えられます。
クルミドコーヒーの場合、暖かみのあるレトロな雰囲気の内装、厳選した素材や手間をかけた商品(質に比して低めの価格帯)や、近い距離で観覧できるクラシックコンサートの開催(こちらもリーズナブルな価格)、お客さんの「消費者的な人格」を刺激してしまうクーポンやポイントカードの不採用、「朝モヤ」という名の哲学カフェ(日曜の朝にカフェに集まり、正解のない哲学的な話をする会)の開催などが、特徴的な価値の一部としてあげられます。
そういった、単純な等価交換・金銭的な価値に還元できない価値を数多く「与える」ことによって「健全な負債感」を抱いたお客さん側は返礼の義務を感じ、リピーターとなるだけでなく、店の良さをネット上の口コミなどで広げていくなど、店舗への還元・返礼となる自発的な行動へのコミットメントへの動機付けに繋がる可能性があります。そういった贈与を契機にした返礼行動の誘発可能性は、市場経済の「すきま」ならではの現象といえるでしょう。
成功の秘訣は「与える」こと
マクロな視点や哲学をベースにした近松氏と、ミクロの視点やフィールドでの実践に基づく影山氏の議論を補完するエビデンスとして、浜崎先生が次に紹介する資料は組織心理学者アダム・グラント『GIVE & TAKE 「与える人」こそ成功する時代』(三笠書房, 2014=Give and Take, 2013 )です。
グラントは人の行動様式を、「ギバー(人に惜しみなく与える人)」、「テイカー(真っ先に自分の利益を優先させる人)」、「マッチャー(損得のバランスを考える人)」の3種類として人格分類を行い、3種の人格の中で誰がどの度成の功を収めたかについて、統計に基づいた分析を行います。
一般的な感覚では、「ギブ」と「テイク」のバランスを取る「マッチャー」が成功しているように思われます。しかし、グラントの統計では成功者は全員「ギバー」で、さらに最も成功していない人もまた「ギバー」だったという結果が提示されました。「ギバー」の中には「自己犠牲ギバー」と「他者志向ギバー」という2種類のパターンがあり、最も成功するのは「他者志向ギバー」で、最も成功から遠いのが「自己犠牲ギバー」です。
浜崎先生はスピノザ(第2回を参照)に触れ、カップリングによる「喜び」(自分に対して能動性を促す「糧」との結合)を無視し、受動性を増大させる「毒」とのカップリングを無反省に繰り返すようなケースや、道徳的な観念で「与えること」に執着する人(聖職者)などが「自己犠牲ギバー」に相当するといいます。
スピノザはカップリングした際の力能に耳を澄ませることを説き、浜崎先生は相手が3類型のどれかによって自身の態度を変えるべきと述べます。
例えば、相手がテイカーであれば「マッチャー」であれば相手がギバーであれば自分も「ギバー」として振る舞えば良いという戦略ですが、どのカップリングによって己の力能が上がる=善い/喜ばしいかものとなるかを理解する(情動の省察)必要があります。
浜崎先生は、もっとも成功する「他者志向ギバー」は、他者をしっかり見据え、他者の喜びを自分の喜びと感じることができると述べます。「他の喜びを自分の喜びと……」という部分は、まさに情動の省察を通じて理解できるものと思います。
極端な例(聖職者や詐欺師など)を除いて、ほとんどの人は「ギブ」と「テイク」の関係の間に属しており、邦訳版の副題にあるように、「与える人(ギバー)」は成功者になるのですが、対価や見返りを期待してのギブは、「贈与」ではなく等価交換であるため、成功に繋がるとは限りません。
贈与による返礼/成功が生じるまでは長い時間を要するものであり、「ギブ」に対して素早く・確実な見込みのある返礼といった取引的な関係性を求めようとするのはマッチャーの思考です。一方、それらを求めない姿勢こそが、贈与の実践者たる「ギバー」の特徴であり、影山氏の著作名『ゆっくり、いそげ』にもギバーならではの時間感覚が表れているようにも思えます。
参考記事: 楠木 健「GIVE & TAKE -その2 時間的な鷹揚さ。」(Executive Foresight Inline)
消費と孤独
「与えること」を主題に、贈与や「愛」といったトピックを様々な観点から論じてきた浜崎先生は、締め括りとして福田恆存「消費ブームを論ず」(初出: 『紳士読本』,1961年6月号)からの一節を紹介します。
「人間は生産[浜崎先生 註: 与えること]を通じてでなければ附合へない。消費[等価交換]は人を孤独に陥れる(…)文明とは、自然や物や他人を自分のために利用する機構の完成を目ざすもので、決してそれと丹念に附合ふことを教へるものではない。それは当然「インスタント文明」を招来する。人々は忙しさと貧しさとから逃げようとして、人手を煩さず、自分の手も煩すまいとし、さうするために懸命に忙しくなり、貧しくなつてゐる。もちろん、今さら昔に戻れない。出来ることは、ただ心掛けを変へることだ。人はパンのみにて生きるものではないと悟ればよいのである。さうしないと、パンさへ手に入らなくなる。」――福田恆存「消費ブームを論ず」(福田恆存 著・浜崎洋介 編『保守とは何か』, 2013、文藝春秋)
引用された福田の一節にも、これまでに見てきたバークからオルテガに連なる議論(「忘恩」や「大衆」性の批判)の片鱗が窺えます。浜崎先生によれば福田のいう「貧しさ」は、金銭ではなく人生の貧しさであり、パンを手に入れるための悟り/心持ちの切り替えが今後の人生を決めると、浜崎先生は結びます。
※参考 浜崎洋介「政府の『移民施策』を批判する――人はパンのみにて生きるにあらず」(表現者クライテリオン)
今回の講演では「与えること」「与える作法としての愛」/「贈与」などが通底を成すキーワードでしたが、それらに共通する要素しては、やはり他者との関係性があると思います。孤独、あるいは受動性の悪循環を避けるため、「贈与」の精神で他者と関係性を構築するという日常や仕事を問わず様々な領域・文脈に対応する処世術の手がかりとしてとして、前回取り上げたスピノザやフロムの議論を参考にするほか、今回の紹介された3冊の文献を手に取ってみてはいかがでしょうか。