「きずな貯金」と信頼の本質(1)

5バリューアセット株式会社は、日本のIFA(金融商品仲介事業者)を変えたいとの理想の下に、代表斉藤彰一が立ち上げた企業です。
当社ではお客様と社会に役立つ存在を目指し、経営哲学・理念の共有や、精神性の修養に努めるべく、外部講師をお招きしての社内勉強会を定期的に催しております。
以下では、当社が開催した社内勉強会についてご紹介させて頂きます。
2025年2月14日、第7回のオフサイトセミナーを開催しました。第7回は森田洋之先生(南日本ヘルスリサーチラボ代表、ひらやまのクリニック院長)にお越しいただき「『きずな貯金』と信頼の本質」という演題でお話を頂きました。
「きずな貯金」とは「社会関係資本」と訳されることが通例な「ソーシャル・キャピタル」を森田先生が訳し直したもので、森田先生の著作や雑誌『表現者クライテリオン』(啓文社)での連載「『過剰医療』の構造と『適正な医療』の形」にも登場します。また、本サイトでも「きずな貯金」に関する記事を公開しておりますので、そちらも合わせてご覧下さい(「持続可能性時代における人間交際-『きずな貯金』と『贈与』-」)。
森田先生は過剰医療の問題、特に高齢者に対する過剰な治療・延命や、先進諸国と比較しても突出した病床数を誇る日本の医療構造などに対して懐疑的な立場をとり、病院ではなく在宅・地域での介護や見守り・お看取りの重要性を指摘されるなど、ターミナルケア(終末期ケア)に近い診療実践を展開されています。
今回は「きずな貯金」を軸に据え、財政破綻・医療崩壊した夕張市に生じた変化や、森田先生が現在クリニックを構えている鹿児島県南九州市の川辺(かわなべ)町での事例を絡めながら、森田先生がこれまでの著作で取り上げられてきた高齢者の医療問題、地域コミュニティや人の輪の持つ力や、本人の意志を尊重した医療の重要性、そして終末期とどのように接し、受け入れていくかという、誰しもが避けられない重要なテーマについて触れられます。
「きずな貯金」は森田先生の議論においては主に地方の地域コミュニティや介護ケアなどの文脈で用いられますが、組織運営やグループワーク、ビジネス(特にウエルスマネジメント)においても、人間関係の構築・維持・強化を考えるための観点としても活用できる概念になると思われます。
講演では写真資料のほか動画資料も複数紹介されましたが、内容の関係上動画アーカイブでは編集で一部をカットしてあります。カット箇所については記事内で補足解説を行っておりますので、動画の補足資料としてご参照いただければ幸いです。
森田先生の来歴と「きずな貯金」への気付き
森田先生は鹿児島県南九州市の川辺で開業医(ご本人曰く、週3日、多くて30人程度を診る「ぷち開業医」)を営む傍ら、南日本ヘルスリサーチラボ代表として研究・執筆活動や、SNSでの情報発信など、精力的な活動を行っておられます。
現在は医師として活動されている森田先生は、神奈川県横浜市のご出身で大学時代は一橋大学の経済学部でマクロ経済学を専攻しており、人文科学的なバックボーンを持つ医師という独自の立ち位置・観点から議論を展開されています。
大学在学中に阪神大震災が発生し、森田先生は当時はやることがなかったために現地へ向かい、半年ほど住み込みのアルバイトとして仮設住宅の建築現場で勤務されていました。異なる世代の人が入り混じるコミュニティでの体験を通じて、人の輪がもたらすポジティブな効果へ気づきや「きずな貯金」を実感する原体験になったそうです。
地元地域やコミュニティにおいては、20歳そこそこの自分が親子ほど年の離れた大人と対等な関係で仲良くなるという経験がなく、初めのうちは違和感があるような雰囲気(特に、横浜出身の一橋大学生が、被災地の建築現場にいることなど)が現場にあったそうですが、現場で寝食を共にすることで、コミュニティに所属し受け入れられているような実感を森田先生は抱いたと述べられます。
半年ほど経って森田先生が東京に帰る際、親方的な人が仕事を休んで新幹線駅まで車で送ってくれただけでなく、涙を流して別れを惜しんでくれたそうです。そういった体験から、きずなや信頼関係をきちっと醸成できると、なにかすごいものが生まれるというようなことを考えたほか、同年代の仲間とのきずな(横軸)と、様々な年齢層から成るコミュニティ(森田先生の例でいえば建設現場)や地域社会に属し続けることで醸成されるきずな(縦軸)は大きく異なると実感し、そういった「きずな貯金」に関する原体験が夕張での生活やコミュニティへの参画、鹿児島での診療や患者さんとの関係性の構築などにも活かされていると、森田先生は回述されます。
建築現場に見回りにきたドクターから医学部への進学を薦められたことが転機となり、一ツ橋大学を卒業後に宮崎医科大学に合格し、6年を経て医師免許を取得されました。医師免許の取得後は器機を駆使した先進医療を学ばれますが、森田先生は思い描いていた医者像との差異を感じ、病気の人を治療することも医療だが、もっと人々の輪の中に入っていく島医者や『Dr.コトー診療所』のような医者像もあるのではと考え、医療崩壊後の夕張市を「急性期医療」から「在宅医療」や「在宅介護・看護」の転換させた村上智彦医師の下で学ぶために、宮崎から夕張へ渡られました。
今回のお話の基盤となる建築現場のエピソードや、夕張の状況についての詳細、医療経済の観点からから問題提起などは、森田先生の著作『うらやましい孤独死――自分はどう死ぬ? 家族をどう看取る?』(2021, フォレスト出版 )でも詳しく取り上げられていますので、ご興味のある方はぜひ講演動画の参考資料としてお読みください。
夕張市における医療の立て直し
夕張市は北海道有数の豪雪地帯で、北海道の多くを占める平野ではなく山合いに位置しています。明治時代に発見された炭鉱によって栄え最盛期には10万人を超える人口を抱えていましたが、石炭から石油へのエネルギー革命の影響で炭鉱が閉山して以降は衰退の一途を辿り、人口は7千人にまで減少しました。
主産業であった炭鉱の閉山による人口と税収入の減少、主産業の切り替えを見越した観光施設の整備や新興への過剰な投資、不適切な財務処理などが重なり、夕張市は2007年に財政破綻に見舞われました。その影響で市内唯一の総合病院が閉院し小規模の診療所となってしまい、総合病院で対応可能だった外科や小児科、透析医療などを受けるには札幌まで向かう必要が生じました。
医療崩壊した夕張を立て直すため、北海道の僻地である瀬棚町の医療を改善させた実績を持つ村上医師が指揮を担当し、「在宅医療」「在宅介護・看護」や、「急性医療」から「高齢者の生活に寄り添う在宅医療」への転換などが進められました。
当時研修医を終えたばかりの森田先生は、村上医師の著作『村上スキーム―地域医療再生の方程式 夕張/医療/教育―』(2010, エイチエス)を通じて夕張で実践されている医療を知り、村上医師の下で学ぶべく2009年に宮崎から夕張へと移住し、後に村上医師の後継として夕張市立診療所の院長を勤められました。
今回のお話は、主に高齢者の在宅診療・介護や、慢性期医療に関わる部分が多く、夕張の日常生活における「きずな貯金」に関する言及は僅かだったため、森田先生の連載「『過剰医療』の構造と「適正な医療」のかたち」の第2回「きずな貯金とSocial Capital」から、夕張についての箇所を引用します。
自宅から歩いて徒歩数分圏内のこうした地域のあたたかな繋がり。これは横浜の新興住宅地で生まれ育った私には経験したことのない新たな世界観だった。地域の誰もがお互いの顔も名前も人となりも知っている。自宅の中にも軽く入れてくれる。人と人との垣根が異常に低いのだ。映画「ALLWAYS 三丁目の夕日」のような世界観と言っていいだろう。おそらく昭和の農村や下町にはこのような世界観が当たり前に存在していたのだと思う。自分でも驚いたのだが、私はその世界の居心地の良さに驚愕した、そしてその世界観に没入していった。
妻も同様だった。見ず知らずの土地、なんのツテもない夕張に、当初戸惑いながら降り立った妻だったが、4年経って夕張を後にするときには、「夕張の皆さんのあたたかなつながりの中で生活するこの感覚、ここから離れるのは何よりも辛い」と泣いたほどである。
『表現者クライテリオン』, 2024年11月号, 200-201頁
「きずな貯金」に加えて、森田先生は在宅医療やお看取りについて言及する際「人間の輪の中」という表現を幾度か使われます。見ず知らずの人に囲まれる病院ではなく、引用部にあるような、つながりやきずながある空間で余生を終えたい(これに関する話は連載の第3回に登場します)という本人の意志を尊重する、あるいはそれを受け入れる寛容さを持つことが、当人のとっての幸福につながり、老いや終末を受け入れる下地を整えていくといえるでしょう。
今回のお話の中では、主に医療・介護現場における「きずな貯金」が取り上げられますが、被災地での住み込み労働のお話のように、中長期的にコミットメントする日常生活や仕事、グループワーク等、様々な領域に置いても「きずな貯金」は他者やコミュニティとの関係性を強固なものにするうえで重要なものとなります、それを改めて認識することが「きずな貯金」の維持や、あたたかなつながりでもある関係性(利他の連鎖)に対しての感へとリンクしていきます。
孤独死はうらやましい?
孤独死という言葉には、亡くなってから〈発見〉されるまでに長時間を要した結果、ご遺体の腐敗が進むといった悲惨なイメージが付与されがちです。さらに、孤独死を恐れてしまうと高齢者の一人暮らしは許容できるか否か、という問題が生じてしまいます。家族や周囲の人が一人暮らしを許容できない際は、施設または病院に入るという二者択一の選択となってしまい、それが日本における病院死率を高める原因となっていると森田先生は指摘されます(在宅か病院かでは、8割以上が病院で亡くなるそうです)。
森田先生が夕張や川辺で接してきた孤独死は、「うらやましい」といえてしまうようなケースが多くあり、その体験によって一般的なイメージが先行していた「孤独死」に関する認識を払拭することができ、次のように記されます。
「孤独死」というとえてして死という事象に注目してしまう。しかし、じつは死にもまして「孤独」のほうにこそ注目すべきなのではないだろうか。
孤独死の問題の本質は、死ではなく、高齢者がそれまで孤独に生活していたことではないだろうか。そう、孤独のほうにこそ問題があるのだ。そもそも人間の死亡率は100%。誰もが必ず死を迎える。その死に至るまでの生活が、地域の絆という人間関係の中でのいきいきとしたものであれば、それはある意味人間としての本来の姿であり、それこそ「うらやましい」と言えるのかもしれない。
『うらやましい孤独死』, Kindle版, 位置No.84-91
東京で夕張や川辺と同様のなくなり方ができるかは、「きずな貯金」の有無が重要になるので難しいと考えられますが、家族の理解や地域のきずながあるとすごいことがおこるとして、川辺での事例がいくつか紹介されます。
川辺での事例1: ミチコさん
『うらやましい孤独死』の表紙に写っているミチコさん(当時82歳)は、生まれつきの小児麻痺でほとんど動くことができず、言葉も喋れないのですが、慣れた介護スタッフであれば「あーうー」というミチコさんの発声に込められた要望をくみ取って思の疎通ができ、講演ではその様子も映像資料として見せて頂きました。また、施設への入居してもらうことも試みたそうですが暴れてしまうため、本人の意志を尊重して一人暮らしで生活を行うほか、(かつて両親とやっていた)野焼きなども庭で行っていたそうです。
近所の人たちとの間に「きずな貯金」があるからこそ、ミチコさんは野焼きや一人暮らしを行える(周囲の理解をえられ、本人の意志が尊重される)と、森田先生は指摘されます。
ミチコさんの足腰が弱くなり台所に立てないような状況になると、近所の人の発案で台所の位置を下げるといった工事が行われました(下図)。ミチコさんの事例では、「きずな貯金」のもたらす効果のほか、施設や病院ではなく家にいたいという本人の思いを尊重することで、医療・介護費の削減につながることも指摘されます。

ミチコさんのお看取りには森田先生のほか近所の人も同席しており、家族のいない高齢独居者の自宅でのお看取りのため定義上は孤独死になりますが、地域のきずなや人との繋がりの中で幸せに生きていたので、一般的な感覚からすると不幸と捉えられますが幸福度の高い終末を迎えられたのではと森田先生は指摘されるほか、『うらやましい孤独死』のあとがきにも、次のような一文があります。
たとえ高齢独居の末の孤独死でも、それまでの生活が地域の人々の中で毎日笑いながらいきいきとした人間関係を築いていて、死ぬ瞬間だけが一人だったのなら、それは「孤独死だけど最期まで幸せな人生」と言えるかもしれない。
逆に、孤独死が不安で高齢者施設に入ったけれど、施設でほかの人との人間関係をうまく築けず寂しさを抱えたまま亡くなったのなら、「孤独死」ではないけれど、幸せな最期とは言えないだろう。介護施設は「介護が業務」であって、高齢者の人間関係の構築や死に方などは軽んじられてしまうことも多いものなのだ。
『うらやましい孤独死』, Kindle版, 位置No.1580
川辺での事例2: マコトさん
森田先生は開業医として活動される傍ら、執筆・研究活動やネットやSNSでの情報発信も精力的に行われています。川辺での事例で次に紹介されるのは、今回のお話の中で紹介されるのは、森田先生がX(旧twitter)に投稿した動画が爆発的に広がり(バズる)、医療関係者から批判を受けながら、多くの一般層からは賛同の声を得られたという動画投稿です。
動画の内容は、高齢男性(マコトさん)がバナナを食べてガッツポーズをするという一見すると日常的なものですが、動画が撮られたのは退院の当日で、入院中は誤嚥性肺炎を防ぐため絶食状態の処置がとられ、栄養は経鼻経管で摂取、手には管を外すことを防止するミトンを安全面から装着させられていたそうです。
経鼻経管での栄養接収は安全面の観点から医療現場では一般的なものであり、その他には腹部に穴を空け、胃袋に直接栄養を届ける胃瘻(いろう)が造設されるケースもあります。
在宅での介護に切り替えたいという家族の要望で帰宅すると、マコトさんは自身の手で早々に経鼻経管を引き抜いてしまったそうです。その後、試しにバナナを食べてみるというのが動画の場面になります。公開された動画に対して、「食べている最中に話しかけてはいけない」など、医療従事者からの批判が寄せられたそうですが、森田先生は医療的な正解やマニュアル的な部分にこだわっており、当事者の幸せを見ていないという点を指摘されます。
医療従事者からの批判が話題を呼び、多くの人の目に動画が触れることで、結果的に動画を使った問題提起などが拡散していき、当時者の幸せを尊重すべきという点に多くの人から賛成されたそうです。また、マコトさんは動画撮影の半年後に、家族や孫も同居する自宅でお亡くなり(90歳代)になりましたが、なくなる前日までもしっかり固形物を食べていたとのことです。
今回のお話では、療養病床での絶食状態で管を使った栄養補給を受けるケースがいくつか取り上げられました。マコトさんや後に紹介する脳性麻痺から快復した方のケースを見ると、固形物を食べることあるいは食事をすることが、活力の支えになっていることを改めて実感させられました。
[参考記事]
「医師から禁食と言われ続けて半年、自宅に帰ったらバナナを食べてガッツポーズの男性。」(森田洋之, 2023年11月17日)
一般的な病院での現状
ミチコさんやマコトさんのように、本人の意志が尊重されたケースは「きずな貯金」という下地や、周囲の人たちが協力して受け入れる・助け合うといった姿勢があることで可能になります。それに対し、一般的な病院では医療的な正解=医療行為を受ける本人の意志を介さない専門的知見に基づいた安全性が遵守されており、入院にあたっては管による栄養補給や胃瘻、無意識に管を抜くことを防止するミトンの装着や、ベッドへの身体拘束などがトラブル防止処置として行われていることが紹介されます。
高齢者の様々な病気は原則的に完治が不可能であるため、病院側に処置を一任する場合、医者側はできる限りの手段を尽くす義務を負うため、絶対に安心・安全な状態(管による栄養摂取や身体拘束)で延命処置が行われ、やがて病院死に至ります。一方、老いを受け入れながら地域や「きずな貯金」など、人の輪の中で生活して人生を終えることが幸福であるというのが、森田先生の終末期に対するスタンスです。
再び、本人の意志を尊重することが医療費の削減につながるという話に触れられ、集団病室などに病床をまとめる集中介護よりも、個々の要望に合わせた在宅介護・診療のほうがコストの抑制が可能になることが指摘されました。加えて、介護の現場においても本人の意志を尊重することで、費用的なコストだけでなく介護スタッフの負担軽減が可能あるという点にも触れられました。
介護現場のスタッフは高齢者の支配と管理を担わされるケースが多く、思い描いていた職務内容との剥離が大きいことも要因となり、介護現場では離職が激しいといわれています。しかし、ミチコさんの介護を担当していた施設のスタッフは誰一人として離職していないそうです。森田先生は離職者が出ない理由には「きずな貯金」があり、介護される側(ミチコさん)が楽しそうに過ごすことで、介護側も負担を感じず、信頼関係を維持しながら楽しく業務にあたることが離職を防ぐ要因になることも指摘されます。
ミチコさんのケースでは、一日数度の訪問という物理的なコストは必要とされますが、精神的なコストは一般的な介護とは比べ物にならないほどに軽く、介護者の離職に伴う求人募集(1年でスタッフが半分になるケースもあり)というコストも発生しないため、トータルとしてみると非常に低コストとなっていきます。
後半部では夕張市の事例がより詳細に取り上げられるほか、世界一の病床数を誇る日本の医療構造について、医療経済の観点に基づいたお話をいただきました。また、質疑応答においても興味深いお話をいただき、そちらについても後半に一部をまとめてありますので、合わせてお読みいただけると幸いです。