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真の指導者とは?  静かな革命家 北条泰時に学ぶ(2)

真の指導者とは?  静かな革命家 北条泰時に学ぶ(2)

5バリューアセット株式会社は、日本のIFA(金融商品仲介事業者)を変えたいとの理想の下に、代表斉藤彰一が立ち上げた企業です。

当社ではお客様と社会に役立つ存在を目指し、経営哲学・理念の共有や、精神性の修養に努めるべく、外部講師をお招きしての社内勉強会を定期的に催しております。

以下では、当社が開催した社内勉強会についてご紹介させて頂きます。



前半部では近年の政治に関する状況や、古典的な政治学や指導者に求められる資質である「徳」、日本史上最高の名君と謳われる北条泰時や彼についての同時代評など予備知識的なものが中心に取り上げられました。 後半では泰時が行った政治の具体例や、日本と好相性の政治体制である「権力の分散構造」について言及されます。また、付記として質疑応答で出た内容も掲載してありますので、合わせてお読み頂ければ幸いです。

法と秩序の形成

泰時の課題は、「承久の乱」(朝廷からの権力奪取)以降の混乱状態にある国内に、どのような秩序を打ち立てるかであり、そこで必要とされたのは、法やルールを制定して争いを裁くという構造の確立でした。構造の確立のために作られたのが、そのために成文法/制定法で土地などの財産や、職務権限や役割を定義した御成敗式目であり、式目の制定は泰時の政治の中で特に評価されています。

制定当時(1232年)は35条までだった御成敗式目は後に付け加えがあり、最終的には51条となりました。その内容には神社や寺の修繕、年貢の未納に対する処罰、悪口の罪、遺産相続、不倫の禁止、暴力事件の加勢禁止なども含まれ、当時の生活や文化に則し、公平公正、わかりやすさなどを重んじた法律です。また、御成敗式目の制定においては、「道理」が統一的なルール形成の根拠とされました。「道理ほど面白き者なし」が口癖であった泰時は、歴史、仏典、法律、文学(和歌)の研究を通じて「道理」を探求しており、力ではなく「道理」/法が秩序を形成すると考えていたそうです。

山本七平は「大勢四転考」(伊達千広が1848年に記した歴史書『大勢三転考』を踏襲)で、固有法と継受法が交互に制定されるという流れを提示します。日本では、律令以前の氏族社会の掟(固有)→継受法である大宝律令(701年)・養老律令(757年)→御成敗式目(固有、1232年)→明治憲法(継受、1890年施行)・現行法という流れを辿ってきました。

中国から輸入してきた律令制度は平安貴族の価値観に適合させたものであり、武士が社会の覇権を握った鎌倉時代では律令での法規範が合致しませんでした。そのため、より当世に則したルールとして御成敗式目が制定され、それが武家法の基礎となり江戸時代まで改良しながら引き継がれていきました。その後はヨーロッパを模倣した明治憲法~現行法に至りますが、現行法もいつかは時代・社会の価値観との剥離が生じ、固有法の時代に戻るのではないかというのが、柴山先生の見立てです。

日本的なリーダー像の規範としての泰時

人の上に立つ人物や秩序の形成のためには幅広い知識が必要とされる一方、41歳で権力を握るまで様々な勉強や人脈形成に励んできた泰時は幅広い知識や見識(和歌も嗜む)を持っていたことも、日本史上最高の名君と言われる理由のひとつです。

泰時の作った政治や国家の仕組みが現在においても日本の基礎になっているのみならず、日本的なリーダー像に決定的な影響を与えていると柴山先生は指摘されます。

日本の特徴として、独裁者が登場せず、全体を率いるようなリーダーも登場せずともやっていける仕組みがあり、その基礎を(偶発的に)築いたのも泰時でした。承久の乱の後、天皇から政治的実権が剥ぎ取られ、実験のない天皇(皇帝のような権威的存在)と政治的実権を持つ将軍という形で権威と権力の分散を行いました。その構図は現在も同様で、将軍の代わりに内閣総理大臣が最高権力者に代わっての分業となっています。

権威と権力の分散体制は、何かしらの問題が起こった際の責任は将軍が担い、実権のない天皇に責任が及ばないという構造になっています。

天皇-将軍という2分割では将軍が独裁を敷いているようにみえるほか、北条政子、義時の代ではやや独裁的な色合いが強かったそうですが、泰時は将軍を補佐するという名目で実質的な権力を握る執権(評定衆の長)や評定衆(13人の合議制が原型)を制定し、権力のさらなる分散・分業を行い、権力が将軍一人に集中しないよう、権力の多元構造を制定しました。

柴山先生は二重の権力構造で国家を安定させるという泰時のレジーム(統治体制)を、泰時が行った重要な事績のひとつと考えられます。その後、後醍醐天皇による政権奪取~室町幕府では権力の二重構造から独裁体制に変わり不安定な状態が続き、戦国時代を経て江戸に至ります。『吾妻鏡』を愛読していた家康は、泰時のレジームを明確に意識していたと考えられ、天皇を権威のトップに据えつつ将軍との分業を行い、執権・評定衆に相当する役割として老中などの補佐役を設定することで権力を安定させたことが、江戸幕府が長期的に続いた背景にあると言われます。

現代における議員内閣制も、鎌倉中期・江戸時代における構造と類似し、将軍が内閣総理大臣に相当する一方、総理大臣は内閣や政党の補佐を受けなければ何もできない仕組みになっているので、総理大臣による独裁は封じられています。

歴史をみると、安定した分業体制を独裁で打ち壊すことでダイナミックに日本を変えようとする人物は登場しており、その代表として柴山先生が挙げられるのは後醍醐天皇や織田信長ですがいずれも短期的な成功に留まっていました。一方の家康は、泰時を踏襲した権力の多元構造を作り、それを体制に組み込こめたので江戸幕府は長続きできたと考えられます。

分業によって安定する日本とは異なり、中国の皇帝政治(権力の一元構造)では有事の際は皇帝に責任が負わされ、王朝が変わるたび大戦乱が発生します。しかし、一元構造を再び用いることで安定した体制へのズムーズな以降が可能になるそうで、日中を比較した際、各々に安定した政治体制のあり方があるということが確認できます。

柴山先生によれば分業構造では、民→大名→老中→将軍→天皇のように、上に行けば行くほど、実務や権力と切り離された象徴的な存在となり、下位にいる優秀な者たちが上を支えることによって秩序が構築され、今日では会社組織の運営においても同様な構造が見いだせるそうです。そういった分業構造は、泰時の作ったもっとも重要なものであり、西洋型・中国型とは異なる日本型のリーダーが必要とされます。特に西洋型のリーダーとしては、ヨーロッパは危機に面した際に独裁政治(dictatorship)を容認する共和主義の伝統があり、サッチャーやチャーチルに代表されるような独裁色の強い人物が求められます。

国が危機になった際に誰にどのような権力を与えるか、また有事が去った際にどのような権力構造にもどるかは、国によってパターンが異なりますが、日本の場合は中世期に泰時が作った構造が今日に至るまで安定的なパターンとして受容されています。柴山先生によれば、そういった点から泰時が「革命家」と呼ばれているそうです。

泰時の巨大な事績

泰時の人生には劇的・講談的な要素が少なく、歴史物語の主人公に取り上げられることもなく、端役やマイナーな人物として認識されがちです。しかし、事績を詳細に振り返ってみると巨大なこと成し遂げており「今の日本国家も“泰時的伝統”の流れの中にある」と、柴山先生は日本型の政治構造における泰時からの影響を強調されます。

権力の分散構造は鳥瞰的にみれば国家の政治体制に関わりますが、身近なところでみれば指導者の理想像と併せて会社や組織の運用モデルを理解するためのヒントにもなると思います。質疑応答(末尾に一部抜粋を記載)でも組織運営に関わる質問や感想が多くでてきました。

歴史上の英雄の多くは、「政治能力は高いが人格は非情」「道徳的には立派だが政治能力は低い」のどちらかであるとういうケースが一般的といわれます。柴山先生はどちらが良いかを選ぶのであれば、マキャヴェリが『君主論』で提起したような前者のパターンが良き君主とみなされるとしたうえで、「優れた政治家であり道徳家でもある」という例外的存在であることや、泰時に比肩するような人物がいないため、柴山先生は日本史の人物の中では北条泰時が一番好きで、日本的なリーダーの理想像や、尊敬される人物についてのモデルケースとして参照できるのではと評されます。

近年の日本史の評価では、優れたリーダーや尊敬する人として、西郷隆盛や坂本龍馬、徳川家康などの名前が出でくるのに対し、(そもそも知られていないので)北条泰時の名前が出てくることはほぼ皆無ですが、柴山先生が見る限りでは北条泰時こそがその後の時代の登城した優れたリーダーたちが手本にした人物であり、『吾妻鏡』を愛読していた家康などはその典型例とされます。

ですが、柴山先生は今日においては泰時を指導者のモデルとする伝統的な流れが途切れている可能性について触れ、さらには、我々も日本型の理想的な指導者や、政治家が持つべき「徳」についての理解や関心を失ってしまったことも近年の政治的な混乱・混迷の要因のひとつかもしれない、とまとめられます。

我々が古典的な政治学のように、リーダーや為者のあるべき姿や資質について考えを巡らせなくなったのは、テレビを通じて目にする政策論の提案に終止する姿や、相次ぐ汚職事件や金銭スキャンダルの報道が政治家のイメージと強く結びつけられ、(政治家も結局は俗人なので)制度の変更で馴致させるしかないという不信感や諦念に起因しているかもしれないということを考えました。

付記: 質疑応答

【フロア】
指導者の条件というと、リーダーが三角形の頂点にいて全体を指導するという、トップの人が全体に影響を与えて組織が動くというイメージがある。しかし、証券業界では色んな問題対応をするファクターがあり、部署毎で同時並行的なリーダーシップの発揮が求められると考えている。業界的な特性は、権力の多元構造との接点があるのではと考えており、周りから信頼されるような「徳」のようをベースにして、誰もが勇気を出してリーダーシップを取っていくことが重要と感じた。

【柴山先生】
日本の場合、個性的な人が上に立った際には短期的にはうまくいくが、長期的にはうまくいかない(後醍醐天皇や織田信長の例)。むしろ日本の場合は下にいる人のほうが個性的で、下から上へと積極的な突き上げを行う傾向がある。下にいた人は時間に経過と共に上層へ上がり(図版でいえば、民→将軍→天皇といったポジションの上昇)、上へいけばいくほど、無私な存在や他者を映し出す鏡のような存在になることが求められる。

近年では欧米型のリーダーシップ(トップが権限を持ち、物事の決断が速い)のほうが上手くいくとも言われるが、組織によって適不適がある。一方、上位者が鏡としての役割を担う構造は多くの日本型企業にマッチしており、組み合わせがしっかりとはまれば高いパフォーマンスを発揮できると考えられる。

【フロア】
現在の民法はパンデクテン方式(個別事例に先立ち総則をまとめる記述形式)を前提とした成文法が主だが、御成敗式目は判例法に近い成り立ちであり、通信手段もない時代に御成敗式目を編集したこと自体が偉業のように思えた。

【柴山先生】
日本人は固有法を変えたがる代わりに、輸入された継受法は変えようとしないという特徴がある。継受法である明治憲法や現行の憲法も、まだ改憲されたことがない。日本人は外国から輸入された継受法に自分たちの社会を変えて合わせるべきだと奮闘するが、異文化を基にした継受法の維持は難しく、限界がきたらそれを捨てることになる。その一方、固有法は自分たちの社会や常識を反映したものなので、どんどん追加・改良を行う。御成敗式目も項目が追加されていった。また、イギリスは中世時代の固有法を改良しながら使用している。

固有法と継受法の優劣についてはなんともいえないが、現行憲法を変えての運用は難しい。過去の日本人のパターンを踏襲するならば、現行の運用に破綻がきた際に、新たな固有法を打ち立てるもしれない(山本七平の指摘)。

【フロア】
権力の多元構造を議院内閣制に例えたが、地方自治体では大統領選のような二元代表制が上手く機能していないように思える。議院内閣制と二元代表制に優劣のようなものはあるか?

【柴山先生】
国政レベルでは権力の多元構造が機能しているが、地方行政ではアメリカ的な二元代表制が普及しており、その形式が日本社会と嚙み合わないためトラブルが多発する可能性は考えられる。

英明な首長が出てきて短期的な成功を収めるというケースはありえるが、そもそも長期安的な安定運用が可能な仕組みではない。

日本の地方自治において、住民の積極的な参加を望むなら、日本の気質に不適な可能性もある現行の二元代表制を改める必要があるとも考えられる。

【フロア】
 権力の二重構造という形式は、会社組織にもあてはめることができるか?

【柴山先生】
トヨタを例にすると、同社では創業家が天皇的なポジションに置かれつつ、実権はその都度の代表者が握っている。だが、決して独裁は振るわずにチームを組んで、権限を多元的に分散させながら時々合議制を組み、危機になると天皇的な立ち位置である創業家の存在を強く打ち出し組織をまとめていくが、状況が落ち着くと鏡のような位置へ戻されるというような、臨機応変な対応が考えられる。

力点の置き方を状況に合わせて変え、状況が改善すれば再び二元構造へ戻すといったスタイルの企業が、数代に渡って続く企業であると思う。

【フロア】
上の人が無欲な振る舞いを見せると、下の人にも影響が広がっていくという話があったが、下の人たちが「良い指導者になってほしい」と考えるときに、下から上への良い働きかけ方はあるか?

【柴山先生】
北条泰時は自身がリーダーになると人に押し付けない聖人君子のような人だったが、下にいた際は、積極的な物言いを上に持っていく(逃げ道などは用意してある)など、主張を強く通す人だった。

下から上への突きあげが行える日本的組織は健全なものと思う。一般的なイメージでは、日本人は上の言うことに従いがちとよく言われるが、実際は下のほうがうるさく、だんだんと上に行くにつれ鏡(調整型)のようになり、上にいけばいくほど無私になっていく。

最近の日本企業は下からの突き上げが少ないらしく、上の人は下の成員の元気がないと言い、下の人は上の人が話を聞いてくれないという不満を耳にする(教員という立ち位置なので、卒業生から上・下どちらの不満も耳にする)。相互不信状態では、組織が機能不全に陥りがちで、上と下の信頼が壊れた状態ともいえる。

下が上を突き上げて、上は鏡として許容するような組織形態が理想形だが、それは日本型企業に適したものであるため、グローバルな環境下では別のパターンが求められる。

【フロア】
近年の政治状況を見ていると、二重構造という日本の良さがあまり発揮されていないような気がする。西洋型のリーダーシップ備えた人物が出で来ることもなく、どちらの方向へ進むべきかと混乱しているようにも感じる。どういう原因が考えられるか?

【柴山先生】
日本は危機に直面するたび、権力構造に関する制度を作り直してきた。鎌倉幕府(二重構造)~後醍醐天皇による新政、徳川家康(二重構造) ~ 明治維新というように、二重構造が永続することはなく、南北朝時代のようにトップマネージメントに力点を置いて状況を改善しようという試みるケースや、戦国時代のように天皇を据えつつ有力大名で実権を賭けて争うケース、明治維新のように下級武士が上を突き上げるケースなどもある。

興味深いのは、そういった作り直しが見られるのは日本のみで、中国は強烈なカリスマ性を持った指導者によって体制を一変させ、権力が重構造になっている欧米は危機に応じて力点を調整して対応する。

天皇の権威で混乱状態を治めることは今日の日本では不可能だが、一時的ではあれ強い総理大臣が強引な手法で問題を解決し、その後に権力を手放すという共和主義的な一時独裁体制や、下のほうから強烈な突き上げを行う明治維新的なスタイルなど、何らかの変革が起こって体制が一変し、再び安定的な二重構造を確立することが求められる時期に入っているようにも感じる。




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鈴木 真吾

鈴木 真吾

2023年3月よりインハウスクリエイターとして写真・映像撮影および編集、グラフィックデザイン、DTPなどを担当。専攻は文化社会学、表象文化論等。

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