保守的態度とは何か(1)
5バリューアセット株式会社は、日本のIFA(金融商品仲介事業者)を変えたいとの理想の下に、代表斉藤彰一が立ち上げた企業です。
当社ではお客様と社会に役立つ存在を目指し、経営哲学・理念の共有や、精神性の修養に努めるべく、外部講師をお招きしての社内勉強会を定期的に催しております。
以下では、当社が開催した社内勉強会についてご紹介させて頂きます。
2023年7月14日、東海東京証券日本橋オフィスにて、文芸批評家の浜崎洋介先生を登壇者にお招きしての講演会/勉強会を開催しました。
今回は「『保守的態度』とは何か ―与えることの意味論について―」という題目で、保守思想の歴史や立ち位置、「与えること」や「贈与」の意味性など、幅広い領域にわたるお話を頂きました。
オルテガ、フロム、スピノザ
まずは前回の復習として、『大衆の反逆』(1930)におけるオルテガの議論を軽く振り返った後、浜崎先生は「大衆」の対極として保守(conservative)思想を位置づけ、保守思想の成立過程を辿ります。その後、エーリッヒ・フロムの「愛」に関する議論、彼が参照してきたスピノザを経て、再びフロムに戻ります。
現代の事例分析を取り上げる後半で紹介される参考文献は、「与えること」――市場的な関係性にはない信頼感の形成や、親密な関係性の構築など、ウエルスマネジメントのあり方を考えるうえでも非常に有益な観点を提示してくれると思います。
講演の前半・中盤は思想・哲学といった観念的な議論が多くなりますが、私たちが日常的に行っている行為や、関係性の構築を「与えること」や「愛」といった観点から言語的に捉えていったうえで、現代の事例分析を参照していきます。
前回(講師: 柴山桂太先生)の共通テクストである『大衆の反逆』の解説・読解が主な内容でしたが、浜崎先生の講演は複数の文献を横断していくため、登場順は気にせず、一番興味を持ったものから手にとってみるのが良いかもしれません。
本記事では、前半・中盤・後半の3回に渡って、浜崎先生の講演内容をまとめていきます。前回同様に動画アーカイブを公開しておりますので、そちらも合わせてご視聴ください。
オルテガ『大衆の反逆』の復習
民衆とも庶民とも異なる「大衆」は、子供の心理として知られる際限ない欲求と「忘恩」を特徴とし、自分に与えられたもの=自分を支えているものを忘却し、自己完結している人間と定義されます。
前回の柴山先生の講義においても「忘恩」(過去や歴史を蔑ろにする)が重要なキーワードとして取り上げられ、歴史や過去など現在の私たちを支える要素に自覚的であることの重要性が浜崎先生のお話の中でも繰り返し指摘されます。
柴山先生の講義では、「大衆」の対極として「貴族」が位置づけられ、「大衆」とは異なる精神性・振る舞いを(自身の中に潜在する「大衆」性を自覚しながら) 続けることが、「貴族」であること述べられ、浜崎先生は「大衆」の対極として、保守(conservative)思想を位置づけます。
保守思想の成り立ち
国内において、保守(思想)という言葉は伝統主義、右翼/愛国的なイメージと結びつけられやすいだけでなく、その用法・定義についても、歴史的な文脈に則したものとは異なる場合が少なくありません。
講演のテーマである「与えることの意味論」の前段階として、まずはその歴史を辿りながら、イデオロギーである右翼・左翼とも異なるポジションに属する保守思想の位置づけを確認していきます。
近代保守思想の始祖とされるエドマンド・バークは、過去から受け継がれたものを棄却し、全く新しい体制を構築するフランス革命を批判した『フランス革命についての省察』(1790)で、過去から引き継がれてきた習慣、価値観の重要性を指摘します。
守るべきものを守り、変えるものは変えるというバークの説く保守的態度(リフォームの思想)は、オルテガの分析した「大衆」とは対極に位置し、とりわけ「忘恩」の有無が両者の大きな違いともいえるでしょう。
※カール・マンハイム『保守主義的思考』(1927)でも、保守主義と伝統主義は明確に区別されています
ロマン主義、左翼、右翼、保守
保守の立ち位置を考える際、欧州中心の史観になりますが、近代的個人の登場とロマン主義が勃興した18世紀に立ち戻ります。そこでは、宗教戦争などを背景に神を頂点に据えた前近代・宗教的共同体から解き放たれた17世紀のヨーロッパにおける近代的個人がやがてロマン主義者となり、個人としての孤独や不安から、共通の理念や共同体を求めてイデオロギーとしての左翼・右翼へと転向していくという線的な流れがあります。
近代においては、右翼に先んじて改革を是とする左翼(19世紀~)が登場し、20世紀前半においては、行き過ぎる空想的な未来志向への批判が、過去・故郷への回帰を求めて、懐古主義的な右翼に転向する者が出始めます。
また、左翼思想の挫折から保守思想へと展開するケースは非常に多く、浜崎先生は江藤淳や西部邁などをその代表例としてあげ、自身もかつては左翼であり、その後保守思想に展開したそうです。
保守思想はロマン主義と同じく個人を重要視し、現在の自分を支える枠組み(今ここの、個人的自由を獲得している「私」を支えるもの)を、断片・個別・独立的なものではなく、全体の中に位置づけられる部分として捉え直すことを試みます。全体に相当するものは前近代においては神でしたが、宗教的共同体のない近現代においては何が相当するでしょうか? 福田恆存は宗教的な教義に代わる全体性を「歴史、言葉、自然」と言い換えます。
私(たち)は、歴史や言葉の外に立つことができず(歴史の積み重ねによって現在があり、言葉によって世界を認識する)、私が生まれたという自然の摂理の外には立つことができません。そういった全体が、私に〈与えられた〉基盤だと認識することが保守思想の根幹にあるといいます。
そしてバークは自由/調和を祖先から与えられたもの上に定め、それを子孫に向けて与え返す態度/行動が(06:20~)、卓越性を獲得した人間につきまとう尊大さを防いでくれるといいます。
フランス革命に対する批判の書であるバークの『フランス革命についての省察』は、存在し与えられてきた体制・価値観・慣習を取捨選し、子孫へ与え返すこともなく、それらを丸ごと作り直そうとする「忘恩」的な民衆への批判――それこそ、オルテガの『大衆の反逆』に重なる部分が非常に多くあるという印象を改めて感じました。