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「きずな貯金」と信頼の本質(2)

「きずな貯金」と信頼の本質(2)

5バリューアセット株式会社は、日本のIFA(金融商品仲介事業者)を変えたいとの理想の下に、代表斉藤彰一が立ち上げた企業です。

当社ではお客様と社会に役立つ存在を目指し、経営哲学・理念の共有や、精神性の修養に努めるべく、外部講師をお招きしての社内勉強会を定期的に催しております。

以下では、当社が開催した社内勉強会についてご紹介させて頂きます。

2025年2月14日、第7回のオフサイトセミナーを開催しました。第7回は森田洋之先生(南日本ヘルスリサーチラボ代表、ひらやまのクリニック院長)にお越しいただき「『きずな貯金』と信頼の本質」という演題でお話を頂きました。

前半部では森田先生の来歴や、人間関係の「きずな」が様々な効果をもたらすことや、医療・介護の現場における「きずな貯金」について、森田先生がクリニックを構える鹿児島県南九州市川辺町のケースを中心にご紹介頂きました。

後半部では夕張市の事例がより詳細に取り上げられるほか、世界一の病床数を誇る日本の医療構造についてのお話が中心となります。また、質疑応答においても興味深いお話を多くいただき、そちらについても後半に一部をまとめてありますので、本編と合わせてお読みいただけると幸いです。

医療の目的とは?

そもそも医療の目的とは何か。医師法第一条では「医師は、医療及び保健指導を掌ることによつて公衆衛生の向上及び増進に寄与し、もつて国民の健康な生活を確保するものとする」とされています。また、「健康」はWHOの定義によれば、身体的、精神的、社会的に良好な動的状態であり、単に病気あるいは虚弱ではない、ということになります。つまり日常生活を問題なく送れる状態(身体的健康)であっても、精神的・社会的な不良状態を抱えている際には「健康」とは呼べないということになります。

森田先生はWHOの定義における「社会的に良好な状態」を「きずな貯金」として解釈し、医師は医師法第一条に則して、身体・精神・社会からなる「健康」の確保に努める必要がある一方、多くの医師は身体的健康のみを注視しがちと指摘されます。心療内科であれば精神的健康も視野に入れられますが、たいていの場合、社会的健康に意識が向けられることは稀なことですが、社会的健康は非常に重要な意味を持つということは、これまでに紹介された幾つかの事例に見てとれます。

ミチコさんのケースでは、生まれつきの小児麻痺のため身体の健康は不良状態で、80過ぎまで川辺の自宅から100メートル圏内で過ごされていましたが、近所の人との「きずな貯金」があるおかげで精神的にも社会的にも健康な状態が保たれていました。医者の立場からみて、ミチコさんは総合的に見た健康度や幸福度は高かったと森田先生は述べられます。

内容の関係上動画アーカイブではカットしてありますが、森田先生が紹介された事例に中で特に印象深いのは、脳性麻痺と診断され1年間ほどチューブを装着して寝たきり状態にある方の例です。

寝たきり状態で栄養はチューブから摂取しており、呼びかけにも反応を見せないのですが、どうにか退院させたいというのがご家族の要望でした。動画では、棒キャンディを舐めさせたところ反応がみられた場面が紹介されました。後に快復して退院され、固形物を食べるほか、鍵盤を弾くほどの快復をみせるなど、管を装着され1年間寝たきりだった高齢者とは思えないほどの変化が、その後に紹介された動画に記録されていました。

森田先生の見立てでは、本来は快復後にみせたような潜在力がありながら、病院での管を繋がれた拘束状態、いわば精神・社会的な健康が損なわれている状況に諦めをつけていたが、退院によって社会的健康状態が快復する(「きずな貯金」を貯めてきた人の輪の中に戻る)ことで潜在力が発揮されたのではないかということです。

夕張市に生じた変化

2007年に財政破綻した夕張市は、2015年のデータでは47%を高齢者が占める日本一の高齢化地域です。財政破綻によって、171床を持つ夕張市唯一の市立総合病院は19床の診療所(建物は同様)となり、医療崩壊が懸念されていました。

夕張市から札幌まではおよそ60kmで、東京から横須賀程度の距離感になります。病院のなくなった夕張市で救急有事があった際はドクターヘリで札幌まで飛ぶ必要があるほか、精密検査などを受ける際にも札幌まで出向く必要が生じ、医療崩壊で死亡数(率)なども上昇すると思われていたところ、数値は破綻前と変わりがありませんでした。

死因では、がんが1位であることに変わりはありませんが、心疾患や肺炎が減少して老衰が大きな割合を占めるようになったほか、救急車の出勤回数が減り、医療費も減少したそうです(医療現場からみた夕張の詳細については『うらやましい孤独死』を参照)。

日本一の高齢化地域である夕張市で救急車の出勤回数が減少した背景には、高齢になるにつれて救急で助かる命が減ってくる(医療で解決できる問題ではなくなってしまう)という状況に対し、地域全体で暮らしを続けながら高齢者を見ていこうという空気になり、そういった暮らしの中には「きずな貯金」というベースがあるため、救急車を呼ぶことなく森田先生らの在宅診療が可能になっていたそうです。 在宅診療では痛み止めや点滴を打っている際に、近所の人が様子を見に訪れることが頻繁にあり、日々の様子や平均寿命を超えた年齢について話合いながらも、最終的には人の輪の中でのお看取りに繋がっていき、そういったエピソードには、森田先生が『うらやましい孤独死』の中で提示された在宅医療による立て直しが成功した要因である「①天命を受け入れる市民の意識」「②高齢者の生活を支える医療・介護の構築」「③高齢者の生活を支える『きずな貯金』」が如実に表れていると感じさせられます。

例として紹介された92歳のお婆ちゃんは、X線検査で影が見つかったため、札幌で精密な検査を受けた結果、末期がんで余命3か月と診断されましたが、札幌での入院や放射線治療や抗がん剤治療といった提案を拒否し、92歳まで十分に生きたので、札幌の病院で知らない人に囲まれながら最期を迎えるより、最後まで家族や地域の人と余命が短くなっても一緒に過ごしたいという希望で、地域で暮らしながら看取られました。

延命治療よりも残り少ない余生を満足に持過ごしたいという要望は、命を守ることを是とする医学的な審級では否定されるため、要望を叶えるためには家族や周囲の理解や寛容性も必要とされます。周囲の理解を得るうえで必要になるのは信頼関係や「きずな貯金」であり、末期がんのお婆ちゃんの例でも夕張に医療再生を支えた3つの要因が見てとれます。

[参考記事]

『財政破綻の夕張』で起きた地域医療の現実」(森田洋之, 2018年8月20日, 東洋経済オンライン)

「きずな貯金」の形成と地域の特徴

今回取り上げられた地域は夕張(北海道)と川辺(鹿児島県)という両極端な地方都市であるため、都市部に比べて近隣住民との交流がしやすく「きずな貯金」も構築しやすいのですが、夕張と川辺にはまた違った特徴があることが指摘されます。

川辺は先祖代々の土地を引き継いできた農村地帯であり、土地と共に「きずな貯金」も引き継がれています。それに対し、夕張は明治時代に炭鉱が発見されたことで入植地が始まった地域のため、ほとんどの住人は外部から来るという都市型の特徴を有しています。また、川辺の住宅は昔ながらの農村家屋が中心ですが、夕張は炭鉱住宅を転用したアパート型の市営住宅がその大部分を占めています(人口が最盛期の10万から7千人まで減少したため、空き家も数多くあるそうです)。

農村型の川辺に対し都会型の夕張ですが、川辺と同様にしっかりとしたきずなが構築されています。構築を支える要因としては、不便な立地で相互扶助が不可欠な環境や、全員で協力する必要がある雪かきなど風習が指摘されるほか、『破綻からの奇蹟: ~いま夕張市民から学ぶこと~』(2015, 南日本ヘルスリサーチラボ)では、80歳でアパートに引っ越してきた高齢者が、雪かきへの参加や町内会長を勤めるといった地域社会への参加を通じて地域の絆を貯めてきたという事例が紹介され、森田先生は次のように記されます。

田舎だからできる、とか都会だから出できない、とか、そういうことではないかな、と思いますね。やる気と環境が整えば、どこでも出来ることだと思います。そういう意味では、雪国には、『雪かき』という共通言語・共有体験があるので、それもいいかもしれないですね。

(『破綻からの奇蹟』, 256頁)




夕張では「きずな貯金」のベースの中にご近所さんが入っているので、施設に入っていても近所同士が訪問すること頻繁にあるそうです。さらに、夕張ならではの特色として冬場はみんなで協力して雪かきを行い(画像参照)、北海道では雪のシーズン以外は花を多く育てる習慣があるので夏には共同でガーデンニング作業を行うなど、「きずな貯金」を貯めていくような習慣が数多くあります。

近所付き合いの機会が少ない大都市部で「きずな貯金」を貯めるきっかけを作るならば、地域協力や、官民が主催する企画への積極的な参加が必要とされますが、「つながり」の希薄化や社会的孤立状態を予防へとつながる、「隣人祭り」や「渋谷おとなりサンデー」といった地域振興イベントなどもあるので、積極的なコミットメント(森田先生の言葉でいえば「やる気」)を通じて、大都市圏でも「きずな貯金」を貯める契機を見出すことができるでしょう。

世界一の病床数を誇る日本

森田先生は開業医として診療を担当する傍ら、医療経済ジャーナリストとしても活動しておられ、医師の視点(医療・介護現場での活動)と経済的な視点(統計資料やグラフの分析)の2つの軸で、日本の医療が内包する問題を論じられています。

今回は「きずな貯金」を軸に、医師側の視点を中心に論じられてきましたが、最後に日本の医療構造について取り上げられます。


図版出典:  財政制度審議会 財政制度分科会 議事要旨等(資料2, 地方財政) , 平成30年10月30日


世界一の病床数を誇る日本ですが、地域別の病床数を比較したグラフ(上図)を見ると非常に興味深い特徴がわかります。入院医療費と病床数の関係をグラフで見ると、まず飛びぬけて高いのが高知県。次いで鹿児島、長崎、佐賀、熊本と九州地方が上位を占め、首都圏は下位に留まっています。

高知県は首都圏の2倍以上の病床数があり、それに伴い医療費も2倍近くの差があります。ですが、医療費が多く使われている高知県と、少ない地域(例として長野県)を比較した際、医療費が多く使われている地域のほうが高い幸福度があるということはなく、経鼻経管や胃瘻を用いる高齢者の入院者数が多い事を示していると指摘されます。

医師と経済という2つの観点で得た情報を総合してみると、日本の医療は非常に高コストをかけながらも、高齢者個々人の要望を尊重した医療を、絶対的な安全性、ゼロリスク神話の遵守、医療的な正当性などの理由によって提供することが難しいという現状が浮き彫りになります。

医療に投入される過剰なコストは、プライマリ・ケアの観点ではなく均一な療養病床が中心となる高齢者のケアに対する医療体制などを変えていくことで(夕張で実証されたように)、着実な削減効果を見せる可能性があります。ですが、そういった観点からの議論や顕著な問題点の是正が一向に行われないことが、日本の医療の問題点として提示されました(これらのトピックは、森田先生の著作で扱われているので、興味のある方はそちらもご参照ください)。

質疑応答

[フロア]
病床数比較の図を見て、地元の長崎は高い数値だったかと実感した。上場企業の数を図に重ねてみると、産業のない地域ほど医療費が高いような印象を持った。長崎での実感としても、産業のない地域ほど「医者になれ」という周囲からの圧力を強く感じた。

[森田先生]
地方では銀行の融資先が医療機関に偏っており、産業全体は医療よりに傾いているという特徴がグラフにも表れていると考えられる。とはいえ、経済が回っているという点では医療機関への偏重をポジティブに評価できる。

医療はビジネスとしてみると、国家の安全保障(健康など)を司っているので、本来は警察や消防と近い立ち位置にあるといえる。イギリスやヨーロッパを見ると医者のほとんどは公務員で、医療を産業やビジネスとして見ていないので、病床数が少なくても回していけるのではないか。

医療の目指す成果は健康や幸福なので、それが達成できるなら高コストも許容できるが、(地域別病床数の)図を見ると、医療費をかければかけるほど、高齢者の幸福度は下がっていくのではとも感じてしまう。

[フロア]
昔から周囲の人がミチコさんの面倒を見ていたというケースに、病院数を増やすのではなく地域での「きずな貯金」を増やしていくことの重要性を感じた。夕張の例では雪かきをしたり花を植えたりなど社会参加することで仲間とのつながりを形成し、誰かが動けなくなったら助けなければという意識が根付いているようにも思えた。ミチコさんの場合、周囲への貢献(コントリビューション)ができない中で、なぜ「きずな貯金」を貯めることができたのか?

[森田先生]
我々はギブ&テイクや人に迷惑をかけないといった基準のある世界で生きているが、ミチコさんは全く違う世界で生きている。これは推論だが、ミチコさんは独り暮らしであるが、両親や兄弟がかつてその家に住んでおり、地域の人たちは家族の歴史などを知ったうえでの「きずな」があるのかもしれない。

ミチコさんは何もできない(ギブされるのみ)人だが、これまでに両親や兄弟が近所の人たちに何かをしており、そこで結ばれた関係性がミチコさんの見守りに繋がっているのではと、予想の範疇で考えられる(近所の人はあまり過去のことを言わないため)。

ミチコさんは何もできないとはいえ、近所の人たちの言葉によれば「ミチコさんがいなくなったら、ものすごく寂しい」という思いがある。ミチコさんは自宅から100メートル圏内程度しか移動できないため、ほぼ絶対に「そこ」におり、ミチコさんが「そこにいる」ことで地域の人は安心感を覚えるというような空気を感じた。

[フロア]
ミチコさんを助けるということが近所の人の求心力となっており、ミチコさんを介し、両親や兄弟との関係を含めてみんなが繋がっていることを実感できるような印象を受けた。

[森田先生]
ミチコさんは、みんなの協力のうえに人生が成り立っていたというところがあるので、ミチコさんを見守ったり介護することは、地域の人たちにとっては当たり前なことして根付いている。特に何か特別なことをする(台所を下げる工事などは専門業者が担当)わけではないが、ミチコさんが「そこ」にいることを受け入れるという気持ちが共有されていたのだと思う。




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鈴木 真吾

鈴木 真吾

2023年3月よりインハウスクリエイターとして写真・映像撮影および編集、グラフィックデザイン、DTPなどを担当。専攻は文化社会学、表象文化論等。

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