備蓄米が話題になった2024年から25年の米不足や価格高騰にニュースで、タイ米の輸入などが世間を賑わせた1993年(平成5年)の米騒動を思い出した方は多いと思われます。平成の米騒動では米の輸入自由化や、備蓄米制度の確立(1995年)など、令和の米騒動とも地続きにある変化をもたらしました。
『令和の米騒動 食料敗戦はなぜ起きたか?』(2025, 文藝春秋 ) は、令和の米騒動の分析を入口とし、コメ農家の置かれた状況、他国に比べ著しく低い日本の食料自給率、食の安全保障、各地における農と食の取り組みなどが論じられます。
著者の鈴木宣弘さんは農業経済学や国際経済学を専門にする経済学者で、『世界で最初に飢えるのは日本 食の安全保障をどう守るか』(2022, 講談社)『農業消滅: 農政の失敗がまねく国家存亡の危機』(2021, 平凡社)、『食の戦争 米国に罠に落ちる日本』(2013, 文藝春秋)などの食や農政をテーマにした新書を多数出版しているほか、全国各地で精力的な講演会を行っています。
本書は日本の食料問題や農政の失敗、担い手が減少の一歩をたどるこれからの農業など、米騒動に留まらず非常に広くなおかつ身近なテーマを扱った内容で、普段の生活では意識することが少ない食料自給率や輸入偏重といった、日本の抱える食料問題についての入門書としても活用できると思います。
「令和の米騒動」
1993年後半から1994年にかけて生じた「平成の米騒動」では冷夏と長雨による不作(翌年は猛暑で豊作)が主だった原因でしたが、「令和の米騒動」(2024年~2025年)では米不足による需給悪化や、高騰対策としての備蓄米の放出や輸入米の投入などを試みながらも、米の価格や生産計画の混乱が続くといった特徴がありました。
平成の米騒動では、20世紀に発生した陸上噴火としては最大規模といわれるピナトゥボ火山大噴火(1991年6月)でエアロゾル粒子が成層圏に放出され、地球規模でのエアロゾル層の形成に伴い日射量が減少、地球の温度が低下することで1992年・93年の日本を冷夏が襲い、80年ぶりの記録的な冷夏といわれた93年では最高気温が25℃を下回る(90年代8月の東京での平均気温は28.6℃、最高35.9℃)日が続くだけでなく、梅雨前線が長期間日本に停滞し8月下旬に沖縄以外の梅雨明け宣言が取り消されるという状況でした。
平成の米騒動は主に自然や異常気象といった無為の事象に原因がある一方、政府の減反政策(米の生産量抑制)で農家の意欲が削がれてきたことや、当時の細川内閣による米の禁輸方針撤回なども人為的かつ副次的な要因としてあげられます。
令和の米騒動は主要因を自然や気象に見いだすことができた平成の米騒動に比べて複雑かつ、人為的な要因が重なり合って生じたもの(2023年の猛暑による米の流通量減も原因とされます)ともいえます。一般的には、南海トラフ地震に関する報道を警戒した買いだめの発生、マスメディアによる米の品薄報道やSNSでの情報拡散によってさらなる緊急需要の拡大するほか、米の品薄状況によって農家から直接米を買い付けるブローカーや転売屋の増加などが要因として指摘され、鈴木さんは特に農政に着目し次のように令和の米騒動の背景を分析されます。
その根底には、減反のしすぎ、稲作農家の疲弊がある。さらに2023年以降の猛暑の生産への影響、需要の増加が加わって、コメ不足が一気に顕在化した結果もたらされたのが、今回のコメ騒動だ。(……)政府はコメ不足を認めず、流通業界・農協(JA)に責任転嫁し、対応が遅れた。流通の目詰まりこそがコメ価格高騰の直接的な原因であるとし、とりわけ一番の元凶が農協かのような言説が流布されてきたのだ。米価は農協が吊り上げたというわけだが、残念ながら、現在の農協にはその力はない。むしろ、コメが集まらずに困っているのが現状だからだ。コメ不足が深刻化して農家に直接買いに来る業者が増え、農協よりも高値を提示して買っていく。農協は買い負けている。
(12頁)
米の需要量と生産量推移(15頁)を参照すると、2020年から生産量が需要量に達しておらず、その要因は需要ギリギリに合わせる生産調整や、水田を畑地に転換することで助成金を出す「水田畑地政策」による生産縮小や廃業が背景にある(16頁)と指摘されます。
令和の米騒動に関する一般的にアクセスしやすい解説(Wikipediaなど)では、流通量の減少やインバウンドなども原因としてあげられますが、鈴木さんは令和の米騒動の構造的要因として、「① 農家への過度の減反要請」、「② 水田の畑地化推進」、「③ 過剰を理由とする低価格」、「④ コスト高でも農家への支援をしない」、「⑤ 政府備蓄米の運用不備」をあげ、「私は一貫して、『猛暑やインバウンドや流通のせいにして、コメ不足問題の本質を覆い隠してはならない』と指摘してきた。さらに、『需給の逼迫が一時的に緩和されたとしても、長期的に政策の失敗を是正しない限り、日本のコメ不足は常態化する』と警鐘を鳴らしてきた」(24-25頁)と指摘されます。
日本とお米
周知のように、お米は日本人にとっては単なる主食のみならず、『日本書紀』に登場する「斎庭(ゆにわ)の稲穂の神勅」や新嘗祭(にいなめさい)のように、古来から象徴的なものとして考えられてきたほか、米俵や年貢のように貨幣替わりに使われるなど、社会・経済と深く結びついており、日本文化にとって重要な役割を担ってきました。
実用面では稲作や水田のメリットがあり、同じ作物を植え続けることで土壌の養分が減って収穫量低下や病害虫の発生を招く「連作障害」の抑制、増水や洪水を防ぐ水源涵養効果、水質浄化効果に加え、文化的価値として「水田稲作は日本文化の礎であり、精神的な価値がある。景観の維持という面でも、水田稲作を継承し、守り続ける価値は計り知れない」(64頁)ともされます。
令和の米騒動では農政の不備だけでなく、肥料・燃料・機械などの生産コストの増加、トランプ関税の交渉案として自動車への追加関税の代わりにアメリカ米の輸入拡を大容認するといった外的要因によっても日本の食糧安全保障の脆弱さが浮き彫りになり、鈴木さんは次のように指摘されます。
国民は、輸入米の増加でコメが安くなると喜んでいる場合ではない。飢餓の危機がひたひたと近づいていることに、気づかなければならない。国産の農産物を守ることは、国民一人一人が自分の生命を守る安全保障のコストだ、という認識が必要なのだ。
(40頁)
特に、肥料・燃料などのコスト増は2026年4月中旬時点ではまだ先行き不明なイラン戦争の影響が強く出るため、令和の米騒動の教訓を活かせるかどうかも今後の注目点になると思われます。
古くは2003年12月にアメリカで狂牛病(BSE)に感染疑いの牛が見つかったことでアメリカ産牛肉の輸入が停止されたことを受け、牛丼チェーン各社では牛丼の販売が中止となり代替メニューとして豚丼などが提供されました。また、近年では世界的な鶏肉需要の増加と長引く円安による輸入コスト増の影響で、サイゼリヤでチキンステーキが一次販売休止になるといったニュースもありました。
参考記事: 「牛肉チェーンのメニュー戦略――アメリカ産牛肉輸入停止と再開―」(茂木信太郎, 『月報「畜産の情報」』2007年8月, 独立行政法人 農畜産業振興機構)
消費者としての生活のみを送っていると、海外での食料問題や経済的要因によって日本国内での食に影響が出るニュースに接しなければ、日々の食糧事情が輸入頼りでグローバルな影響に晒され続けていることを忘れがちになってしまいます。
鈴木さんは他の著作においても、日本の食糧自給率について繰り返しの問題提起を行っており、本書では第3章「食料自給率わずか38%の日本を襲う”クワトロショック”」、と、海外の農業保護政策や食料に対する防衛策が紹介される第4章「農家を助けながら安いコメを食べるために」では、食の安全が中心に取り上げられます。
食料の防衛
現在と前近代の日本の比較で興味深いのは「江戸時代の日本は、100%の食料自給率を誇っていた。鎖国が成り立ったのは、食料を輸入せずに済んだからだ。エネルギーさえ輸入せず、植物資源を活用して賄っていた。独自の循環型社会を築き上げ、幕末に訪れた使用人を驚嘆させていたのだ」(70頁)というものです。
外的要因で食料とエネルギーの高騰に見舞われている現在の日本とは隔世の感があり、日本と海外のカロリーベースの食糧自給率を比較すると、オーストラリア233%、カナダ204%、フランス121%、アメリカが104%、日本は1965年に70%、平成で50%を切り、2023年で38%となっていますが、生産物に着目するとカロリーベースの38%よりも低水準になるとされ、鈴木さんは次のように述べられます。
日本の本当の食料自率は、自国内で生産される農作物は、肥料や種や鶏のヒナなどの資材を輸入に依存しているからだ。/ 野菜の自給率は、80%と言われる。しかしその種は、9割が海外の畑で種採りされたものだ。試しに、家庭用菜園に売られている野菜の種を手に取って、採取地を確かめていただきたい。三浦大根や長なすは中国、苦情ねぎがイタリアや南アフリカ、京みずなもイタリアだ。外来の野菜ならともかく、日本の伝統的な野菜のはずの三浦大根や九条ねぎまで、いまや海外産の種なのだ。
(72頁)
このほかにも輸入飼料の値上がり(生産地での人手不足、船賃の上昇)や、「国産率98%の鶏卵も、ヒナは100%近くが輸入だ。ヒナの輸入が止まれば、ほぼ0%に追い込まれてしまう。鶏が主なエサとしているトウモロコシの自給率もほぼゼロだから、その輸入が止まれば鶏卵の自給率は12%まで下がる」(75頁)ことも指摘され、効率化やコスト優位性からヒナも輸入に頼っていることを初めて知りました。
第3章のタイトルにもなっている「クワトロショック」は「① 新型コロナウイルスによる物流停止」、「② 中国の爆買い」、「③ ウクライナ戦争」、「④ 異常気象」ですが、2026年4月現在では5点目としてイラン戦争も付け加えられるでしょう。
参考記事: 「もし食料輸入が止まったら?ウクライナ死因校で現実味を増す日本の食糧危機『食料自給率37%』のリスク」(井出留美, 2022年5月31日, YAHOO!ニュース)
クワトロショックで注目したいのは「中国の爆買い」で、これはデパートやドラッグストアでの大量購入ではなく、コロナ禍以降に顕在化した中国政府による食料の大量購入を指します。
鈴木さんは中国政府が爆買いに舵を切ったのは複数の要因があることを指摘され、その根幹には食料の自給自足への取り組みのほか、国民が豊かになったことによる食生活や生産の変化(牛肉の消費増加、川魚から海産物への受容変化、経済発展による農地減少と度重なる水害による不作)を背景に、自給自足へ向けた増産や穀物市場での買い占め、有事に対して14億人が1年半食べていける穀物備蓄の推進(89-90頁)という政策転換があると述べられます。
国が富むことで食生活が変化し、食物の輸入率が高まっていくという点では日本と中国は類似性がありますが、有事に備えての自給自足や備蓄に対する意識が両者の大きな違いといえます。
もうひとつ興味深いのは欧米の農業保護政策で、そのなかでも酪農がナショナル・セキュリティ(供給の海外依存を避ける)と目されている点です。鈴木さんは友人であるアメリカの大学教授の「牛乳の秩序ある販売体制を維持する必要性から、アメリカ政府は酪農を電気やガスのような公共事業として扱っており、外国によってその秩序が崩されるのを望まない」(104頁)といった意見を紹介されます。
欧米の取り組みは、食のナショナル・セキュリティを維持するためには、消費喚起、需要創出、生産者への還元と、それらを刺激させるための財政支出が重要になることを示唆しており、令和の米騒動の例と同じく「農政の失敗」の例として第2章で言及される日本の酪農(生産計画の見誤りや、補助金で拡大後にコロナ禍で需要激減)と比べると、市場や需給原理に基づく増産・減産で酪農家を振り回して疲弊させているという印象を受けます。
鈴木さんは乳製品の生産を抑制したことで2014年にバター不足が生じたこと受け、農水省が2015年から頭数増加や機械設備増強を条件にした補助金交付事業である「畜産クラスター事業」で増産量を増やしたものの、コロナ禍による乳製品の需要減で減産を強いられた酪農家について次のようにも述べられます。
コロナ禍という予想外の事態に際しては、一時的に余った生乳を買い上げればよかったのだ。しかし政府は反対に、「牛乳を搾るな」という通達を出すに至った。(……)乳価は20円近く上がったが、まだ10円分の赤字が解消できない。飼料価格やエネルギーの大幅上昇で、20円程度の乳価引き上げでは、増加したコストを補填しきれない。しかし、乳価があと10円上がれば、消費者が手にする牛乳の価格は30円ほど上がってしまう。生産者も限界だが、消費者も限界だ。生産者に最低限必要な額と、消費者が払えるギリギリの額にギャップがあるなら、それを埋めて両者を付けるのは政治の役目のはずだ。
(45-46頁)
ヨーロッパでは農家への補助金を積極的に拡充し、フランスの例では主食であるパンの原料となる小麦農家も所得に占める補助金割合は235%となり、「販売価格が低いので、肥料や農薬などのコストを払いきれない分を補助金で払った残りが所得になる。だから所得に占める補助金の割合が100%をはるかに超える」(105頁)とされ、引用した日本の酪農に関する部分をみても、ヨーロッパの農政はしっかりとその役目を果たしているという印象を受けます。
ヨーロッパのような手厚い補助金制度については、行き過ぎた保護主義や、他業種と比べて優遇されすぎているという批判も生じますが、「それでも欧米諸国が農業を手厚く支援する理由は、穀物が自給できなければ国民の命が守れないと、強く認識しているためだ。農家への補填によって価格の上昇を押さえることは消費者への補助金という意味をもつ」(106頁)と、鈴木さんは補足されます。
日本にとってのナショナル・セキュリティはコメであるといえますが、欧米における酪農のような防衛意識は少なく、農政においては一般的な農産物として認識されがちな印象を受けます。
輸入偏重の状況に対する処方箋としては、欧米的な防農意識や、現状の農政構造における問題の改善、輸入に依存しすぎないローカルな食糧生産や「地産消費」を推奨する考ええである「ローカルフード」などが取り上げられます。ローカルフードについては、地方の活性化や、地方を主軸にした食料自給率の向上などにも関わる部分であるので、軽くみておきたいと思います。
ローカルフードとは、地域で生産された食材をその地域で消費することを言う。農産物、魚介類、肉類だけでなく、地域固有の伝統的な加工食品も含む。「地産地消」と共通する考え方だ。生産が可能で需要のある食材をできるだけその地域内で生産すれば、生産地域での食料自給率を上げ、ひいては日本全土の自給率も上げることができる。生産地域と消費者の繋がりを、大切にする取り組みだ。(……)これをシステムとして確立しようというのがローカルフード法であり、自治体レベルにおける条例だ。条例によって地域の消費を増やすよう取り組んだときに資金が足りない場合、法律があれば国レベルで予算を付けて後押ししてもらえる。
(125-126頁)
ローカルフード法(正式名: 地域在来品種等の種苗の保存及び利用等の促進に関する法律案)の法案作りには鈴木さんも参加されており、同法には種を守る・地域の種苗を育てるための基本法で、イタリア、ブラジル、韓国などでは国の食料自給率を上げるうえで重要な法律(127頁)と考えられています。
地方創生においては、関係人口(特定地域に継続的に関わる観光以上定住未満の人々)や地域の歴史・資源の再発見や活用、行政のみならず産学やNPOと地域住民が一体となった町おこし事業など様々な取り組みや施策があり、食の生産・消費に重点を置いたローカルフードという観点は、日本の食料自給率の改善を目指す過程においてはより重要な位置を占めていくと思われます。
参考記事:「ローカルフード法・条例とは? ~地域のタネから作る循環型食糧自給~
身近であるがゆえに気が付かない問題
現在の日本では、食料が極めて深刻なレベルで輸入偏重であることはBSEやコロナのパンデミックのように日本にも深刻な影響ももたらすグローバルなものや、米騒動のように国内での生活に密接かつ身近に感じられるニュースを目の当たりにしなければ意外と見落としがちな問題であるということを、本書を読んで実感させられました。
タイトルや導入部分は「令和の米騒動」であるため、2004年から25年にかけての米の高騰や備蓄米に関する狂騒的な報道を思いだして本書を手にする方も多いと思います。
導入部分は令和の米騒動や、騒動が起こった構造的背景や農政の問題点などが中心にとりあげられますが、コメから酪農、さらには農作物全般や採種、農業・農村の保護と食の安全保障など、非常に根本的な問題へと論点が広がっていきます。
近年はイラン戦争の影響から、原油資源や関連資材の調達に関する懸念や不安が陽動の中心を占めていますがコメに限らず幅広い食料問題も遅れて騒がれると思われます。
日本の農政の失敗がコメ騒動や酪農の崩壊を招いたことは本書でも度々指摘され、食料自給率の維持にも繋がる農家への手厚い保護政策を推進する欧米の政策と対極にあるという印象を受けます。
欧米の保護政策は、SDGsにも影響を与えた宇沢博文さん概念である「社会的共通資本」(「自然環境」「社会的インフラストラクチャー」「制度資本」という3つの大カテゴリーに分けられ都市や農村は「社会的共通資本」から成立し、その利用やサービス分配によって国や地域の社会・経済的構造が特徴づけられる)として農業や農村を捉え、市場原理による価格変動や生産調整から保護するような意識が強くあります。
一方、日本の農政は食料が圧倒的に輸入偏重であり続けること、備蓄のための爆買いを推進する中国のような食の防衛意識が薄いこと(この点は令和の米騒動が教訓になると思います)、農業を社会的共通資本として捉えるのではなく、市場原理に則した農政を行っていることなどが問題点としてあげられます。
本書の第5章「再生への道 自立した食と農を取り戻す」では全国各地で広まっている「『自分たちの食は自分たちで守ろう』という取り組み」(130頁)を紹介しています。取り組みの中では、地域経済活性化の中に食料生産を位置づけた例(宮崎県大崎市「鳴子のコメプロジェクト」、福井県あわら市の「女将の酒プロジェクト」)や地元スーパーなどで生産者と消費者の双方向ネットワークを結ぶ取り組み、都市住民が農家との栽培契約を結び収穫物を優先供給してもらう取り組み(愛知県豊田市の押井営農組合の「羽布の里ミネアアサヒCSAプロジェクト」)といった、地域独自の取り組みも多数紹介されているほか、巻末で鈴木さんは本書の総括として次のようにまとめられます。
お金を出せばいつでも安く食料が輸入できる時代は終わった。農業問題は農家の問題をはるかに超えて、国民全体の命の問題、「農業問題は消費者問題」だ。不測の事態に国民の命を守るのが「国防」だというなら、他国の在庫処分の武器に何千億円もかけるのは国防ではない。食料・農業・農村を守ることこそが一番の国防だ。
この認識の欠如がもたらしたのが、今回の「令和のコメ騒動」だ。コメの不足と値段の高騰は、日本の農業が陥った構造的な問題を象徴している。
(152頁)
日本と他国の食料自給率の著しい差異や、食料や農業を取り巻く問題点などに気づかなければ、日常生活の足元が不安定な状態にあるかを認識することは難しいと思いますし、鈴木さんの「食料・農業・農村を守ることこそが一番の国防だ」という指摘も、諸外国の取り組みを知ると、より腑に落ちるような印象を受けます。
第1章から第3章までは、問題提起や現状理解が中心になるため、農政の失敗を振り返る事例分析が続くため悲観的な内容が続きますが、海外の取り組みを紹介しながら改善策を考える第4章、「地産消費」の実践例や農家が疲弊しないような取り組みが紹介される第5章では、地方活性化にも関連する現在進行形の事例に言及されており、高齢化や担い手不足が深刻化していく農業を考えるためのヒントになると思います。
とはいえ、他の著作のタイトルにも顕著なように鈴木さんの議論は、やや危機を強調し過ぎるほか扇動的な表現が多く用いられる傾向があります。本書では第3章後半部にその特徴が強く出ており、前後の章と比べると著しく政治色が強くなっているという印象を持ちました。
鈴木さんの立ち位置は農協寄りであるため、新自由主義的な潮流や当時の農政と、改革側から「岩盤規制」とも称される農協の独自性との二項対立という構図に収斂しがちな側面があります。加えて、やや恣意的という指摘も少なくないデータ選択、誇張気味な危機論(一例としては第3章で言及される、GHQが丸本彰造の『食料戦争』を焚書にした理由)など、客観性を保持するために他の研究者の議論との比較検討が必要とされる部分も少なくないのですが、令和の米騒動を端緒として日本の農業や食糧事情の脆弱性を広く知るための参考資料としては効果的に活用できる本といえます。
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