
ここ数年、ビジネス本やハウツー本とは異なり、金融や資本主義といったシステムや、投資やお金について考える本、いわば稼ぐ・増やすためのノウハウではなく、漠然としたものや実体がないものについて〈考える〉ことを促す本が増えている印象があります。
元ゴールドマン・サックス金利トレーダー田内学さんによる『お金の向こうに人がいる』(2021, ダイヤモンド社)や『きみのお金は誰のため』(2023, 東洋経済新報社) などは、この代表例です。敷居の低い小説形式で装丁等も中高生に訴求力を持つような工夫がなされた後者は25万部以上を売り上げ、「読者が選ぶビジネス書グランプリ2024」の総合グランプリとリベラルアーツ部門のダブル受賞を果たすなど、大きな反響を呼びました。
本書『資本主義の中心で、資本主義を変える』(2023, ニューズピックス)は2023年の9月、『きみのお金は誰のため』のひと月前に刊行されました。表紙にはエンパイア・ステート・ビルディングを中央に据えたマンハッタンの高層ビル群の写真が配され、帯にはゴールドマン・サックス(以下GS)の文字が配置され、想定されている読者層は『お金の向こうに人がいる』に近めであるほか、業界人以外に金融や資本主義について考えたいという層も視野に入れているように思えます。
本書では日本市場を例に、今日の資本主義市場が抱える問題や商習慣についての細かなケーススタディが紹介されると共に、改善に向けた提言が記されます。分析的な『お金の向こうに人がいる』に比べて実践的な内容であり、なおかつアジテーション色もややありますが、2章中盤のコーポレートガバナンスに関する部分などは、ぼんやりと解釈・使用しがちな用語についての理解を深めるための参考書になると思います。
著者の清水大吾さんは2023年の大規模人員削減で16年在籍したGSを離れ、2023年9月に本書を刊行されました。清水さんはGS在籍中から現在の資本主義に対する懸念があり、資本主義を変えるためにはゲームの内部、いわば資本主義の中心=GSで活動するという意識を強く持ち、手弁当で数々のセミナーを主催する「セミナーおじさん」として活動するほか、セミナーよりも頻繁・即時的に日本社会の価値観を変える情報を発信するためにメルマガを活用し「メルマガおじさん」とも呼ばれるほどに精力的な活動を行っており、GSを離れた後は在野での執筆活動などを行い、現在はみずほ証券のサステナビリティ推進部に所属。サステナビリティ・エバンジェリストとして、メディアへの寄稿やイベントでの登壇などさらに精力的な活動を展開されています。
参考記事: 「みずほ証がサステナ部門を急拡大、ゴールドマン出身者を『伝道者』に」(Bloomberg, 2024年3月6日)
漠然とした〈資本主義なるもの〉を分解的に考える
第1章では資本主義という漠然としたものを細かに分解し、国毎に異なる資本主義の構造を考えます。前半部では、「『所有の自由』×『自由経済』」という資本主義の根本原理(思想のない競争増幅装置のようなもの)に「①成長の目的化」「②会社の神聖化」「③時間軸の短縮化」という思想が備わることで、様々な形の資本主義になっているというモデルが提示されます。清水さんは資本主義と思想の関係性をラーメンに例え、ベースである資本主義(「『所有の自由』×『自由経済』」)に3種のトッピングが意図せずに盛られすぎたため、元の味が見えづらくなっていると指摘し、各トッピングの精査を行います。
1章の後半では先の3点が資本主義にもたらした影響、例として競争原理、貧富差の拡大、環境問題、持続可能性への責任などについて、清水さんの専門領域のひとつであるサステナビリティの観点から、SDGsやESG(Environment Society Governance)と関連付けて論じられます。
① 成長の目的化
成長は、資本主義の根本原理に基づく自由な競争の副次物として発生するのが望ましいとされます。しかし、成長は高揚感や達成感をもたらすがゆえに、成長それ自体(=高揚・達成感の獲得)が目的化してしまい、「Up or Out(成長か退場か)」というような風潮を生み出しているとされます。
「Up or Out」的な論調は、米国企業においては至言とされており、国内ではおそらく新自由主義と共に広く定着したと考えられ、昨今の「自己責任」論なども、「Up or Out」に近いものといえるでしょう。
現在、地球環境や社会といった犠牲がなければ経済活動や「無限の成長」は成り立たない状況が迫っています。GS在籍時から、清水さんはSDGsへの取り組みや、持続可能な社会のあり方について関心を寄せており、成長や時間についての問題提起も本書の通底を成すテーマとなっています。
② 会社の神聖視
会社の神聖視は、会社は永遠に存在しなければならないものという錯覚によって生じます。目的を見失いゾンビのように存在し続ける会社を、ただ存続させなければならないという意識に囚われた状態です。適切な事業ポートフォリオの転換を行えず、ゾンビと化した企業の存続が延長され続けることで、社会の活性化を促す「人材ビックバン」が起こらず、会社に所属する人材がただ延命しているだけの会社に固定され続けてしまいます。
清水さん自身は、日興ソロモン・スミスバーニー(現 シティグループ証券)の株式トレーダーとしてキャリアをスタートさせ、カリヨン証券(現 クレイディ・アグリコル証券)を経てGS、そして現在はみずほ証券と複数の会社を渡り歩いてキャリアを研鑽されており、証券業界やGSにおける人材流動性の高さ(人員削減方針なども含め)を、従業員が様々な分野で活躍できる契機につながるとポジティブに評価します。
清水さんが推奨する会社に対して冷淡な姿勢を持つことや、人材の高い流動性や放出/拡散の肯定などは年功序列や終身雇用を前提とした日本型の経営と相反しますが、外資での勤務経験に基づく観点ともいえるでしょう。
③ 時間軸の短期化
株式会社は経営状況を四半期・1年という期間で区切って報告することを求められますが、1年という長さは地球が太陽の周りを一周する期間に相当します、それゆえ経営の時間軸とは異なるものでありつつも、1年が「経営の前提とする時間軸」の区切りだと勘違いされやすく、本来あるべき経営あるいは成長の時間軸よりも短いスパンで結果が求められるようになります。
清水さんのご実家近辺では素潜りのアワビ漁が行われているそうで、アワビ漁を例に適切な時間軸について語られます。アワビが食用に適したサイズになるには3年ほどを要す一方、未成熟なものでは過食部分が少ないので、結果的に多くの個体を捕獲するため、行き過ぎた際にはアワビの減少を招いてしまいます。それゆえ、関係者の間で一定以上の大きさのアワビのみが捕獲できるという取り決めを行うそうです。
しかし部外者が小さいアワビを捕獲し始めると、続々と競争者が現れ、先に動かなければ負けてしまうという状況になると、いずれアワビが獲れなくなると理解しつつも止まれなくなる、という事態が発生します。資本主義社会でも同じようなケースがあり、適切な時間軸で物事を考えていたとしても、短期的に刈り取った者が評価される=自分がはじき出されることが続くと、「プロセスよりも表面的な結果」が評価されることで生じた「短期目線」になってしまいます。
「成長の目的化」と「時間軸の短縮化」は互いに共振することで、何かがおかしいと思いながらも逆らうことのできない強大な流れを産み出してしまい、その例としてリーマン・ショックなどがあげられています。
流れに逆らうには、自分がゲームからはじき出されることを前提に適切な時間軸にこだわるか、短期目線(成長を目的とした成長の圧から)かた隔離された場所を用意するという選択肢しかないと清水さんは指摘します。GSの解雇によって清水さんは前者のアプローチをとりましたが、短期的な時間軸となった資本市場を敬遠するような対抗策もあります。
対抗策の例として紹介されるのはアパレル・アウトドアブランドのパダコニア社で、創業者シュナイード氏は取引所への上場は短期的な利益を求めるプレッシャーに晒されるため上場を選ばず、2022年9月に4000億相当の保有株を慈善団体に譲渡したというケースが取り上げられます。
参考資料
「取締役を『自然』にする会社と、株主を『地球』にするパタゴニア。二つの事例から考える、企業のあり方」(Business Design Lab, 2022年10月25日)
1章の中ではやはり、資本主義を分節化するというくだりや、3つのトッピングという観点も(特に会社の神聖化と人材の拡散)非常に興味深く思いました。
前半は論理的な分析が展開しつつ、3節「環境問題は『国境を越えない』」の辺りから文章がだんだんと熱を帯び、清水さんの熱い思いやお人柄が感じられます。特に下記に引用する1章の最後の一文は、サステナビリティ・エバンジェリストという清水さんの現在の肩書を象徴しているような印象を受けました。
資本主義の外でいくら道徳を叫んだとしても、経済が伴っていなければ寝言でしかない。これはけっして簡単な取り組みではないし、個人や一企業レベルで達成できるようなことでもない。同じ志を共有出来る人を増やしていき、世の中の流れそのものを根底から変えていくという不断の努力が求められる取り組みなのだ。これは、私が資本主義のど真ん中で戦い続けるにあたっての矜持でもあった。 (Kindle版79頁)
日本市場の特殊性
2章では日本の株式市場の解説や独自の商習慣の解説など、業界に詳しくない人をフォローする細かな解説があります。とはいえ情報量はかなり多いため、まずはざっと通しで読んだ後に細かく分けられたトピックを参照するのが良いと思います。
田内さんの『お金の向こうに人がいる』はお金を取り巻くフレームワークや経済を俯瞰的に解説する一方、本書の第1・2章は具体的な事例をあげながら細かな解説を行うような形式なので、問題関心のある方は2冊を合わせて読まれることを勧めます。
近年、慣習的なものとして定着していた政策保有株式(株式持ち合い)は企業の競争力向上に繋がるのかという疑問のもと、解消・縮減が求められはじめています。本書においても日本市場の改善点として最重要視されるのは、清水さんがGS在籍時から取り組んできた政策保有株式の解消です。
政策保有株式という商慣習的な持ち合い関係は、市場や資本主義の健全化の為に解消されるべきという立場を清水さんは取りますが、買収への防波堤になるという利点などついても本書の中で様々な事例を基に解説されます。
政策保有株式の文化が根強くある日本では、企業に対する提言を行う投資家を「モノ言う株主」というレッテル貼りで敬遠する風潮がありますが、清水さんはそういった風潮の根底に「短期目線の投資家と経営者の相互不信があることを指摘します。
短期目線の株主が増えると、経営者側は長期的な目線での経営が難しく、政策保有株を通じて短期的な株主の発言や影響力を抑え込みますが、それがかえって経営者の保身につながり、結果として経営者と投資家の相互不信状態を招いてしまいます。
目線の長短に関連して、清水さんは「投資家」(長期目線)と「投機家」(短期目線)を区分します。ビジネスの持つ「固有の時間軸」を受容するスタンスと、短期的な時間軸での利益獲得を追い求めるというスタンスの差異があるほか、投機マネーは市場の売買を活性化させるうえで重要でありながらも、投機マネーの反乱は「〈投資〉家と話をしても無駄だ」という印象を経営者側に与えてしまい、それが政策保有株に頼る結果を招くことになります。とはいえ、経営者が〈投資〉家と思っているのは〈投機〉家であり、本来ならば「〈投機〉家と話をしても無駄だ」と考えるべきであり、投資家との対話 / 信頼関係の構築が重要と清水さんは繰り返し説きます。
政策保有株式の存在が広く報道される契機となったのは、2021年に報道された関東に基盤に店舗を展開するオーケー社による、 兵庫・大阪・奈良で「関西スーパー」を展開する関西スーパーマーケット社へのTOB でした(詳細は『関西スーパー争奪 ドキュメント混迷の200日』, 2022, 日本経済新聞社を参照)。
卸やメーカーの中には、重要な販売チャネルであるスーパーとの間に良好な商品取引を行うために両社の政策株式を保有しており、どちらかの陣営につくともう一方の取引を失うことになるメーカー社員もいたそうです。
清水さんはバーター取引や政策保有株式は「忖度文化」の象徴と捉え、肩書や訪問や接待の回数(いわば贈与に対する返礼)として、交渉が優位に進みやすくなる形式主義は儒教に由来と理解しつつも、社会の価値観が変わる局面では妨げになる要因と考えます。
政策株式の解消のためには、多くの人が抱く既存の価値観や商慣習などを変える必要があり、清水さんはセミナーの開催やメルマガでの情報発信に注力し、政策保有株式を直接的に批判するのではなく、「企業経営のあり方」や「資本市場との向き合い方」といった漠然としたテーマを設定し、その流れで政策保有株式に言及するというスタイルで啓蒙活動を行ってきたそうです。
※参考資料
「縮減が進む政策保有株式とその効果」(藤野大輝,矢田歌菜恵 ほか, 2024年2月3日, 大和総研)
「増える政策株売却、証券会社とのなれ合いも脱却 自由競争が本格化」(浦中美穂, ロイター, 2024年10月11日)
サンリオに学ぶコーポレートガバナンスの実践
2章前半は日本市場や政策株式の問題点について。後半では政策株式の解消するための方策として、コーポレートガバナンス(企業統治)が取り上げられ、事例分析としてキティちゃんでお馴染みの株式会社サンリオが紹介されます。
コーポレートガバナンス(以下CG)は「企業がその存在意義(パーパス)に沿った目的を達成するために必要となってくる、システムやもののすべてを包合」(153頁)しており、具体的には従業員、報酬や人事制度、商品クオリティ、企業のブランド価値、監督機能を備えた取締役会、コンプライアンスなどが含まれています。より端的にいえば「企業文化」に近いものと、本書では定義されます。
サンリオの事例では、2020年に創業者の辻慎太郎さんが60年に渡って務めた社長職を退かれ、後任に孫の辻朋邦さん(当時31歳)が就任した翌年に公表された中期経営計画が取り上げられます。計画内容の前半にはこれまでの「組織風土」についての自己批判が織り込まれており、「トップダウン待ちで、経営チームのガバナンスに課題」「個別最適/サイロ化した組織・国内気概の未連携」「“頑張って主も報われない”“失敗しても責任を問われない”人事制度」など、組織の抱える問題点を赤裸々に開示し、後半でそれぞれの問題に対して具体的な改善策を設定し、資料内で進捗状況を紹介するというものでした。
CGのあり方は企業文化と同じく多彩である一方、東京証券取引所に提出するCG報告書を外部弁護士やコンサルタントに委託する企業も少なくないそうです。しかし、CGは企業価値向上のための考え方であり、その答えは企業内にあるため、外部に委託するべきではないというのが清水さんの提言であり、会社内部での制作されたCGを見事な形で披露したのがサンリオでした。
企業文化の変化および取り組みの公示によってサンリオの企業価値は大きく向上し、その後の株価も大きく上昇(本書の資料では2023年6月時点)するなど、サンリオの事例は企業文化の重要性を如実に示した例としてまとめられます。
その後の参考として同社のサイトで公開されている「新中期経営計画のご案内(2025年3月期~2027年3月期)」を見てみると、本書でとりあげられた前中期計画(「足場固め」)の段階から「成長と投資」の段階に入り、「3本の矢」と称した3つの主要施策で、不確実な成長から、安定・永続成長への転換が掲げられています。
3つの主要施策は1の矢が「マーケティング・営業戦略の見直しによるEvergreen(資料では「IP認知・行為などが常に新鮮で維持されていること」と定義)」、2の矢が「グローバルでの成長基盤の構築」、そして3の矢が「IPポートフォリオの拡充とマネタイズ多層化」となっており、前期計画で多めにページが裂かれていた「組織風土」についての言及はほとんど見られません。
また、北米、中国、東南アジアでのIP展開、これまでのグッズ展開以外に外部パートナと協力したコンテンツ開発やクリエイターを支援する「場」を構築しユーザー発信のコンテンツ/UGD(User Generated Content)の創出で成熟市場となった日本でのIP展開に新機軸を加えるなど、外部に焦点を合わせ、読み手をワクワクさせるような新戦略が広く提示されているという印象を受けました。
加えて、古い本ではありますが岩崎直さんの『メリルリンチのナンバーワン戦略: 日本市場を席巻する世界最大の証券会社 その実力と正体』(徳間書店, 1998 )などでもCGの例を学ぶことができます。同書ではメリルリンチのCGや「企業文化」の特徴が子細に言語化され、国内の証券会社とメリル(およびメリルリンチ日本証券)の比較にも言及されているので、ケーススタディとしても活用できると思います。
哲学的思考とESG
『資本主義の中心で、資本主義を変える』の冒頭で資本主義という〈漠然としたもの〉を分解していくと書かれているように、清水さんは論理・哲学的なスタイルが強く、「『ビジネスパーソンはもっと哲学を大事にしなければならないと感じているのは私だけではないだろう」(163頁)という記述からも、人文知への関心の高さが窺えます。それゆえに、言語を介して抽象的なものを具象化、あるいは分節化(articulation)するような議論に慣れてない方は難解さを感じるとは思いますが、ぜひ時間をかけての通読をお勧めします。
清水さんは「企業文化」やCGといった曖昧な議論に慣れていない人への補助導線として「ESG(Environment Society Governance)」(環境、社会、企業統治/CG)を活用します。ESGの中には「企業文化」やCG、時間軸についての議論が含まれているほか、環境問題や人権問題といった明確化した課題(企業が取り組むべき「答え」)がまず目につくので、具体的な事例について考えるための契機になりやすいともいえるでしょう。
ESGを足掛かりにしながらCGの改革を押し進めるといった戦略をセミナーなどで展開する清水さんは、GS時代には業務推進部でESGに関する啓発活動、日本企業の意識改革、(結果としての)政策保有株式解消に関連したビジネスなどを展開され、日本郵船社のESG経営推進アドバイザーも担当されるなど、提言と実践の両軸で精力的な活動を続けられてきました。
補足になりますが、サンリオもサステナビリティに熱心に取り組んでおり、創出価値とESGの観点から10の重要課題(「サンリオ・マテリアリティ」)を設定したり、国連との共同でSDGsを応援するなど、著名なIPを活用しながら特色ある企業理念やCGをESGとしっかり結び付けています。
参考資料
「中期経営計画 2022年3月期-2024年3月期」(サンリオ株式会社, 2021年5月)
「サステナビリティ」(サンリオ株式会社)
「特別対談(NYKレポート2022) ゴールドマン・サックス証券×日本郵船 ESG経営で見えてきた企業文化の進化(抜粋版)」(日本郵船株式会社, 2022)
市場への提言
1章、2章は清水さんのGS時代の実践や取り組みがベースになっていますが、3章ではGS退職以降も「日本社会の価値観を変えていく」ための取り組みを続けるにあたっての提言や、現在的な状況の分析などが中心になり、消費市場、労働市場、資本市場3つのフィールドが取り上げられます。
3章は外資に務めた経験を基に、凝り固まった日本の慣習を改めて浮き彫りにするといった趣旨が強く、規則に忠実・字義どおりに従い0か100でのみ判断する「細則主義」、弛んでしまった緊張感へのテコ入れとして、水槽の中にピラニアを入れ(水槽に仕切りを入れるので食べられる心配はない)、長期輸送のストレスで生存率が低下してしまう魚の緊張感を煽るという話が紹介されます。
議論の中では消費市場(企業と消費者)、労働市場(経営者)、資本市場(投資家)のそれぞれに対応したピラニアが設定され、健全な緊張感がもたらす効果が提示されます。また、ケーススタディについても、身近な生活におけるお金や消費行動、環境負荷や自然な時間の流れを意識したライフスタイル(ESG的な思考実践)などもあり、1章・2章が難しいと感じた方には読みやすく感じると思いますが、1・2章に比べると矢継ぎ早に事例が展開されるので、1・2章を読みやすく感じる人は逆に読みづらさを抱くかもしれません。
内容的にも2章は金融や証券業界の関係者に、3章(特に中間部あたりから)は非業界関係者や現在投資を行っている / 行うと考えている、単純に興味があるという層に親和性が高い内容という印象を受けました。とはいえ、3章もかなりの情報量になるので、3つの市場におけるピラニアとの関係性までを3章、アクティブ投資以降を(便宜上の)4章として考えると、読みやすくなると思います。
間話-episode-
本書では章の冒頭、中間、終わりに「episode.」が挟まれます。内容は清水さんの来歴や体験を中心に綴られたもので、GSの業務推進部部長兼SDGs/ESG担当いう肩書を持ち、ESGの啓発に取り組み、言葉が国内で広く認知される以前からSDGsのバッジをつけていた(言葉が広まる頃には外したそうです)清水さんが持続可能な世界や、長期目線での時間軸を重視するようになった思想的バックボーンについて触れられており、とても興味深く読みました
四国の最西端に位置し、「日本の秘境百選」にも選ばれた愛媛県佐田岬の半島で生まれ育った清水さんは、大阪での予備校時代に阪神・淡路大震災を経験、2001年の新卒研修時に9・11に遭遇し、2つの大きな事件が死生観に多大な影響を及ぼしたと記されます。
2007年に長男が生まれたことで、以前から抱いていた誰かの役に立ちたいという「利他」的な思いが強固なものとなり、持続可能な社会を次世代に残すために最大限の努力をしたいという思いを抱き、その後リーマン・ショックとGSの倒産危機、GS内での新部署(業務推進部)の設立、新型コロナウイルスの流行に伴う方針転換(長期的・非喫緊なビジネスの一時中断)、そしてGSの解雇へと続きますが、人材の流動性や放出は新たな場所での活躍の機会に繋がるというポジティブな側面もあります。
清水さんは交友のある書籍編集者から本を出してほしいと誘われていたそうですが、GS在籍時の多忙な状況では執筆の時間が取れないと断わりを入れたところ、間もなくGSを解雇されたため、本書の執筆活動が始まったそうです。
本書はテクニカルな理論や分析枠組みではなく、清水さん個人のバックボーンに強く結びついた思想・哲学や、資本主義の中心で働いてきた知見基づく議論が中心で、クールではなく徹底的にホットな内容であると、精読しながら改めて実感させられました。また、「おわりに」の中に、初読時にはあまり気に留めなかった重要な箇所があったことに気づかされ、下記に当該箇所を引用します。
私は元来とても利己的な人間で、けっして利他をベースに生きている聖人君子ではない。しかしあるときに気づいたのが、どれだけ利己的に何かを欲しがったとしても、本当にほしいものは利他でしか手に入らないということだ。「利他」的に生きるとういうのは簡単なことではないが、時間さえ長く取れば「利己」が「利他」に代わっていくと考えれば、自然体で「利他」を続けていける。 (280頁)
再読時に強く目を引いたのは「利他」という言葉でした。これまでに、中島岳志さんの『思いがけず利他』(2021. ミシマ社)についての記事を掲載するほか、第5回オフサイトセミナーで同書の著者である中島岳志さんにお越しいただき「利他の構造」という演題で講演を頂くなど、ビジネス/ウェルスマネジメントや経営哲学に関わる重要なキーワードのひとつとして「利他」を捉えており、本書の終わりで「利他」という言葉を目にした際、「資本主義を変えたい」という清水さんの強い思いや、セミナーの開催やメルマガなどの情報発信、エバンジェリストという現在の活動の根源が、「利他」で繋がったような印象も受けました。
「どれだけ利己的に何かを欲しがったとしても、本当にほしいものは利他でしか手に入らない」「時間さえ長く取れば「利己」が「利他」に代わっていくと考えれば」と記す清水さんは、ジャック・アタリの「合理的利他主義」(自己利益のために、利他的行動をとることが合理的な選択となる)のようにも感じますが、とりわけ「episode.」を読むと、利益拡大のための合理的選択(GS在籍時は成長/利益拡大が必然ですが)だけではない、「思いがけず」行ってしまうような「利他」が多いとも感じさせられました。
また、「利他」と非情に近接した概念として贈与があります。贈与については、第2回のオフサイトセミナーを担当して頂いた浜崎洋介さんが近内雄太さんの『世界は贈与でできている』(ニューズピックス, 2020年)を取り上げたほか、田内さんの『きみのお金は誰のため』の中にも、第5章のリードや参考文献として『世界は贈与でできている』が登場します。加えて、近内さん近著が『利他・ケア・傷の倫理学』(2024, 晶文社)というタイトルという点も、贈与と「利他」の近似性を感じさせられるほか、『思いがけず利他』においても贈与や受けとることが重要なものとして論じられており、新自由主義体制下における金融業界や資本主義の今日的状況や行く末を考える際、いずれも他者との関わりや主体のあり方に重点が置かれている「利他」と贈与が重要性を持つのではと考えます。
関連記事
・「保守的態度とは何か(3)」(第2回オフサイトセミナー)
・「中島岳志『思いがけず利他』」
・「利他の構造(1)」(第5回オフサイトセミナー)